わたしが取材対象とする人物はいわゆる裏社会に生息している人々が多い。
ヤクザ、半グレなどの面々だが、彼らと接していると取材内容とはまるで違う部分で感心させられることがある。
裏社会に対する締め付けが厳しくなる一方の現代において、彼らのシノギの多くは法律に抵触するものであったり、一般人が首を突っ込むことができない特殊な事情がからんでいるものである。
一般企業のように先輩が仕事のノウハウを教えてくれるわけではなく、兄貴分のやり方を見て覚えたり、自分なりの手法を開発しなければならない。
交渉、話術、情報開示の順序、話し方ひとつをとってみても、それは彼らが実体験の中から学んできたものであり、少し角度を変えれば表社会でも充分に通用するものばかりだ。今回はそんな彼らの実践的な仕事術を取り上げてみたい。
先日、元ヤクザのM氏と喫茶店で打ち合わせをしていた。
M氏は非常に気さくな人物で、前歯が一本欠けていることと、肩口から覗く刺青さえ気にしなければ、とても元ヤクザには見えない風貌をしている。年齢は50代だ。
突然、M氏の携帯が鳴った。これまでにこにこと雑談していたM氏は顔をしかめながら電話に出ると、押し殺すような重い声で静かに話し始めた。
「○○さんね、ああいうことをされると困るんですよ」
見たことのないM氏の姿である。
「そんなの俺から言えることじゃないでしょ。説明してよ」
なにやら揉めている雰囲気だ。わたしはじっと耳を傾けていた。
「じゃ、のちほど」
そうM氏は電話を切った。
「なにか揉めているみたいでしたけど、なんの電話です?」
気になることは尋ねてみるに限る。
するとM氏は相好を崩して答えた。
「いやー、なんでもないんですよ」
「なんでもないって感じじゃなかったですよ」
「ええ、今の電話でなんでもないってことがわかりました」
話はこうだ。
M氏はヤクザ組織を抜けたとはいえ、現在もカタギとはいえない仕事をしている。最近、M氏に対する悪い噂が出回っていて、その出所を調べている最中だったというのだ。電話をしてきたのはM氏と一定の距離をおいて付き合っている記者で、M氏は一瞬その記者が自分の噂を流しているのではないかと疑った。
しかし、記者が噂を流して得をするとは思えない。すぐにその疑いは自ら否定したが、それで終わらないのが裏社会に身を置くM氏である。M氏はこう語る。
「せっかく一度は疑ったわけでしょ。その時の、このやろって気持ちを使わない手はないじゃない。俺は一度はおさまった気持ちを思い出してさ、イラついた感じで留守電に吹き込んだわけ。○○さん、ちょっと嫌な話聞いたんだけど、どうなってんの? って」
その留守電を聞いた記者は焦ったことだろう。いつもは気さくなM氏が怒りを滲ませながらアプローチしてきたのだ。自分に思い当たる節はないが、なにか落ち度があったのではないかと折り返しの電話をしてきたというわけだった。
「ま、実際話してみて、やつじゃないことは確認できたんだけど、せっかくだから少し脅しておいたよ。最近、俺から情報を引くときも雑な感じになってきていたからね」
疑惑は晴れたが、それで終わりではない。
「もちろん開放はしないよ。せっかく軽くカマしたんだから、ここはしめておかないとね。俺がこれまでどれだけ情報回してやったと思ってるんだ。当然、やつのことを疑っている体で話を進めたし、向こうが事情を説明したいっていうからあとで面会することになった。今頃、必死でいろいろと情報を集めてるんじゃないか」
記者としては気が気ではないはずだ。のちほど、自らの情報網を使って調べたM氏の噂に対する報告を持ってはせ参じることだろう。
勘違いだとわかっていても、あえてカマしてみる。相手が動揺したら、とことん利用するという裏社会の人間が得意とするパターンである。俗にこういうやり方のことを「火のないところにどうやって煙を立たせるかが重要」などという言い方をすることもある。
M氏はにっこりと笑ってわたしに言った。
「でも、草下さんにはこんなことしませんから大丈夫ですよ」
最後にもう一発カマしておくのも彼らの常套手段である。
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Written by 草下シンヤ
Photo by Thomas Leuthard
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