森友学園の前理事長・籠池泰典氏の証人喚問がおこなわれた週末にワイドショーを見ていたら、ジャーナリスト・山口敬之氏が出ていた。山口氏は証人喚問後の展開を話していたのだけど、え?と思ったのは次のひとこと。
「籠池さんは偽証罪でいけそうです」
いけそう? 立ち位置はどこなのだろう。ジャーナリストというより政権側の広報のような印象を抱いた。かつて山口氏はこんなことを述べている。
《永田町では取材対象である政治家に近づくうち、いやでも一定の役回りを担わざるを得なくなるんです。単に記者会見や夜回りで聞いた話だけを書いている新人記者ならともかく、政治記者として一人前になれば、必然的に「永田町の住人」になってしまう。そういうものだと思っています。》(永田町を震撼させたエース記者の回想「現代ビジネス」)
政治記者をやっていると「永田町の住人」になってしまうというのだが、記者ってそんなもんなのだろうか。なんだか釈然としない。というのも、私は井上義啓氏を知っているからである。
かつて存在した「週刊ファイト」の編集長。プロレス記者である。ファンからは「I編集長」という名で尊敬された。
発行元が小さな大阪の新聞社だったので「ファイト」は東京での興行をすべて取材してカバーできない。ではI編集長はどうしたか。試合の詳細そのものより、書き手の主観によってその試合の意味を考えてゆく手法を編み出した。「活字プロレス」を開拓したのである。
I編集長は2006年に73歳で亡くなるまで、24時間プロレスのことを考え続けた。とくにアントニオ猪木のことを。酒もタバコもやらず生涯独身。生活はすべてプロレスにささげた。
もっと驚くことは、I編集長は「週刊猪木」と言われるほど猪木に肩入れしていたのだが、最後まで猪木とは距離を置いていたことだ。一緒に食事すらしたことがないという。生涯、観察者であり、批評精神をつらぬいた。たぶん猪木サイドは何度もI編集長を籠絡しようとしたと思う。抱き込んでしまえば楽だからだ。しかしI編集長はなびかなかった。
猪木にとっても長い目でみたらそれは良かった。もし下手な試合をしたらI編集長にキツく論評される。そうならないためには良いファイトをするしかないからだ。
プレイヤーとマスコミ。静かな緊張感が両者にずっと漂うことで、結果的に得をしたのは間違いなく観客である。しみじみそう思う。
ジャーナリストでも誰かを支持する気持ちはあるだろう。でもいつも擁護ばかりしていたり、広報のような役割をしているように見えてしまったら、そのうち「観客」からは信頼されなくなると思う。おかしいと思う時はおかしいと言うことも支持者の役割なのではないか?
なんだ、プロレス記者のことかよと思う人もいるかもしれませんが、そこまで徹底した人がいるのです。ジャンルは関係ない。政治記者をやっていたら必然的に永田町の住人になってしまうだなんて言ってないで、I編集長を誰か見習ってほしい。そんな変人が永田町にいてもいいじゃないですか。
Written by プチ鹿島
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