大みそかの風物詩『NHK紅白歌合戦』の司会や出場者のメンバーが発表される度に、いつの日からか「ジャニーズ枠」と称されるポジションがニュースとなってきた。
「今年はジャニーズから4組出場!」といった発表記事だが、実はこの「ジャニーズ枠」は割と最近になっての設けられた。
今でこそ「どれにしようかな」とジャニーさんの気分で入れ替え出来る「チカラ」を見せつけているが、本来なら"実力"で勝ち得る歌手としての最大栄誉が「紅白出場」といっても良いだろう。なにしろ地上波唯一の全国放送で「日本を代表する人気歌手が勢揃い」する一員として出られるのは栄光そのものだ。
もちろんジャニーズであってもそれは同じであり、エンターテイナーでいる立場と日本の伝統を人一倍好むジャニーさんは創業時から常に狙っていたポジションである。自らの手で「日本を代表する歌手」を育てて「紅白に出場」させたい、それが自他共に認められる栄冠なのだ。
そもそも紅白は、1945年の大晦日に放送された『紅白音楽試合』が前身番組となり、1951年に第一回目の『NHK紅白歌合戦』が放送された。当初は紅白合わせて14人という構成で、放送もラジオという時代だった。この時代にもちろんジャニーズのJの字もないし、今でこそ当たり前のJ-popsやアイドルさえ存在していない。
日本を代表する歌手が日本を代表する歌を披露する、そんな華やかなステージにジャニーズが登場したのは紅白が16回目を迎えた時だった。1962年創業のジャニーズ事務所は起業からたった3年で夢の紅白ステージを手に入れた。出場したのはジャニーさんが作った初めてのグループ「ジャニーズ」(4人組のヴォーカルユニット)だ。
以後、70年(第21回)から7年連続で「フォーリーブス」が席巻し、同時期73年からは、今年で30回目の出場を果たす「郷ひろみ」が現れて「ジャニーズ、早くも2枠」を獲っていた。ちなみに郷ひろみは75年にジャニーズを離れているため、2枠は2年連続で途絶える。
しかし、それ以前の68年/19回目には「森進一」が初出場している。森進一こそジャニーさんが作ったスーパースターであることは知る人ぞ知る事実。奇しくも「ジャニーズ(事務所)」への移籍はなかったが、森進一を発掘して育てる一方、「ジャニーズ(グループ)」を作り上げて渡辺プロダクションから独立して起業。3年後には紅白出場を手に入れ、おおよそ10年で、4組の歌手を送り出したジャニーさんはとてつもなく凄い。
現在の立場(帝王)ではない環境下において、見事に業を成し得ている過去がある。フォーリーブスと郷ひろみが「アイドル」として天下を獲れば、80年には「田原俊彦」が登場し、伝説は休むことなく続いていくのであった。(つづく)
文◎平本淳也(元ジャニーズJr.)
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