万引きGメンの事件ファイル by 伊東ゆう
年間、二万七千人以上の自殺者(年間十八万人を超えるという説もある)を生み出す自殺大国、日本。その理由は様々であるが、経済的困窮を理由に命を絶つ者は少なくない。今回は、万引きの現場で実際に発生した悲劇を、ここに報告する。
関東郊外のショッピングセンターで、墓参りに必要なモノ一式と、いくつかの食品を万引きした老人を捕捉した時の話だ。犯行を素直に認めた老人を事務所の奥にある応接室まで同行して話を聞けば、この日は亡くなった奥さんの三回忌で、この店の近くにある霊園まで墓参りに行く途中だったという。
「盗んだモノを使ってお墓参りしても、喜んでもらえないと思いますよ」
「でも、金ないし、手ぶらで行くってわけにもいかないから......」
六十三歳になるという老人が盗んだモノは、生花、線香、蝋燭、ライター、たわし、カップ酒、缶ビール、幕の内弁当、大福といったところで、合計被害額は三千円近くに及んだ。
「お酒と食べ物は、お供えするつもりで?」
「いや、それは俺が食べようと思って......。もう、二日も食べてないんだ。悪いけど、これ、食ってもいいか?」
そう話した老人は、こちらの返事を待つことなく、おもむろに弁当を食べ始めた。図々しいことに、盗んだ缶ビールの栓も開けて、ぐびぐびと飲み始める始末だ。こうした厚かましさは、多くの万引き犯に共通する特徴といえ、まるで反省のない態度に呆れてしまう事案は少なくない。
「食べるなら、お金払ってもらわないと......」
「申し訳ないけど、これしかない」
箸を置いた老人は、年季の入った黒革の財布から三枚の十円玉を取り出すと、テーブルの上に放り投げた。商品が買い取れない万引き犯は、全て警察に引き渡すというのが、この店の基本姿勢だ。そのことを伝えた上で、商品代金を立て替えてくれる身柄引受人を用意できないか確認してみると、頼れる身寄りは皆無で、奥さんが亡くなってからは一人で暮らしてきたと答えた。
さらには、奥さんの死後、事業に失敗したことで所有していた不動産を失くし、いまやホームレスにまで成り下がったと自嘲気味に話している。話の通りであれば、とても辛い状況にあるようだが、だからと言って何も処置することなく帰すわけにもいかない。
「お金を払えないとなると、警察呼ぶことになっちゃいますけど、いいですか?」
「ああ、呼んでくれて構わないよ。お好きなようにしてください」
不機嫌そうな口振りで答えた老人は、取られてたまるかという姿勢で残りの弁当を貪り始めた。本来ならば止めるべきなのだろうが、もはや売り物にならないのだから食べさせてしまった方がよい。そう考えた俺は、見て見ぬ振りをしてやり過ごすことにした。犬のように周囲を警戒しながら、飯を掻き込む老人の姿が哀れで、制止する気持ちにならなかったのである。この老人と二人きりでいるのが辛くて、その場から逃がれるように席を外した俺は、隣接する事務所の電話から警察に通報した。
数分後、警察への通報を終えて応接室に戻ると、あり得ない光景に目を疑った。先程まで、ふてぶてしい態度で弁当を食べていた老人が、濃緑色の泡を吹いて仰向けに倒れているのだ。慌てて声をかけてみるも、ただ呻くだけで会話が成り立たない。状況を把握するべく周囲を見回すと、液体の入った茶色の瓶が、蓋の開いた状態で床に転がっている。どうやら、この液体を飲んで自殺を図ったようだ。どう対処していいかわからず、慌てふためいた俺は、急いで事務所に戻って救急車を要請した。
救急車が到着するまでの間に水を差し出して、口をゆすぐように声をかけても、老人は苦しげに呻くだけで要領を得ない。結局、明確な反応のないまま救急搬送される老人を見送った俺は、窃盗事件と老人が倒れていた状況までを明らかにする実況見分を済ませると、所轄警察署に連行されることになった。調べが一段落したところで、担当刑事に一番気になっていることを尋ねる。
「あの、お爺さん。助かりましたか?」
「まだわからないけど、厳しい状況みたいだね。ジャケットの内ポケットに遺書が入っていたというから、初めから死ぬつもりでいたんだろう」
その遺書には、生活できなくなるまでの経緯と、亡き妻の墓前で死ぬことを宣言する内容が書かれていたという。さらに聞けば、茶色の瓶に入っていた液体の正体はパラコートで、相当量を服用したらしく助かる見込みは薄いらしい。
数時間後、刑事課の取調室で調書を巻いていると、老人の死亡が確認されたという一報が入った。見知らぬ老人の「最後の晩餐」の相手を、知らぬ間に務めていた事実が重い。
「あんたが悪いんじゃないから、気にすることないよ」
刑事の気遣いに感謝しながら、最後の食事にありつく老人の姿を思い浮かべて、心の中で冥福を祈る。死に場所と定めし亡き妻の墓前に、辿り着けないまま命を落とした老人の心境は如何なるものか。その後、遺体の引き取り手が見つからなかった老人は、行政の手によって荼毘に付されたという。
Written by 伊東ゆう
Photo by Thomas8047
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