教育専門だった名残なのか目は惹かないがジワジワ来る女子アナの多い局|テレビ朝日1961〜2018

テレビ朝日社屋


かつて日本に「女子アナ・ブーム」が巻き起こったことを覚えていますか? |フジテレビ 1961〜2018年

http://tablo.jp/media/entertainment/news003398.html

楠田枝里子、ユニット「DORA」、夏目三久、水卜アナという怪物を排出した局 |日本テレビ 1956〜2018年
http://tablo.jp/media/entertainment/news003424.html

「報道のTBS」は小林麻耶を採用したことでアイドルアナウンサーの巣窟となった |TBS 1951〜2018年
http://tablo.jp/media/tv/news003463.html

フジテレビ、日本テレビ、TBSと続けて女性アナウンサーの歴史を追ってきましたが、今回はテレビ朝日にスポットを当ててみたいと思います。

テレビ朝日の開局は1957年。東映、日本経済新聞社、旺文社などのメディア系企業が中心となって設立された日本教育テレビが前身となります。当時のテレ朝は教育番組と教養番組にウェイトを置いた教育専門局でした。

その4年後となる1961年に、光森和子さんが初の女性アナウンサーとして入社しているようです。筆者は寡聞にして三森アナの名前を存じ上げず、テレ朝で最初の女性アナウンサーは1963年入社の軽部和子さんだと思っておりました。軽部アナといえば、元フジテレビの露木茂アナの奥様ですね。

その後、キー局女性初の「取締役」を務めた堀越むつ子アナ(71年入社)、『世界の車窓から』の提供読みでおなじみだった古梶一枝アナ(現小林一枝・74年入社)などが採用されていますが、タレント的な人気を集めるようなポジションではありませんでした。ちなみに堀越アナ、古梶アナはテレ朝が本格的に参入した平日午後6時台の首都圏ローカルニュース番組『6時のサテライト』に抜擢されているので、局からの期待は大きかったのかもしれません。