ある一家と霊 「母が見たという女の霊はこれに違いない!」|川奈まり子の奇譚蒐集二三

それからの日々は、今まで通り穏やかではあったが、時折、訪ねてくる婚約者の礼奈さんが明るいアクセントを添えて、前よりずっと楽しいものになった。ただし、社宅に来た日の夜に母のもとを訪れた怪しい影は立ち去らず、それどころか、存在感を次第に増していったのだった。

そいつは、茂男さんの前にも姿を現した。

礼奈さんが初めて社宅に訪ねてきてから4日後、たまたまシフトの関係で夜まで休みだった茂男さんはそのとき自室でテレビを見ていた。
見ていたのはいわゆる午後のワイドショー。特に好きな番組というわけではなく、たまたま点けたら開幕中の北京オリンピックのニュースをやっていたのだ。
玄関に近い和室である。壁一枚隔てて社宅の外廊下があり、そちら側の窓には凸凹ガラスの窓が嵌っている。茂男さんは窓に背を向けて座布団を枕に寝転がり、反対側の壁際に置いたテレビを見ていた。
窓は1つしかなく、豪雪地帯のこの辺りの常として冬の雪対策で廊下の庇が深い建物の造りだが、室内は非常に明るかったという。

私が調べたところでは、おそらくその日は8月21日木曜日で、新潟県の天気は曇りのち晴れ。午後3時から翌日いっぱいまで晴れマークが点いているので、茂男さんの記憶どおり、このとき部屋の中は明るかったに違いない。

ところが、ふと影が差した。窓が半ば塞がれたかのような……と思い、茂男さんは誰かが外廊下を通りかかったのだろうと考えた。

ファミリー向けの社宅だから平日の午後であっても社員の家族が出入りする。誰かが窓の外を通っても不思議がない。

しかし、少ししても影が去らなかった。まだ暗い、と気にかかり、ちょうど番組がコマーシャルに切り替わったので振り向きかけたとき――。

ミシッ!

背後で畳が鳴った。「エッ」と思わず茂男さんは声を発した。母は奥の座敷か台所にいるはずで、部屋の戸は冷房した空気を逃さないために閉めてある。

咄嗟に、横に転げるようにようにして体ごと振り返った。
すると窓の前に髪の長い女が両腕をダラリと下げて立っていた。

――茂男さんによると、この女は映画『リング』などに登場する《貞子》に似ていた。
ただし、何を着ていたのかは思い出せないのだという。

彼が記憶しているのは、真っ直ぐな黒髪が腰に届くほど長かったことと、妙に脱力した姿勢が不気味だったこと。
そして瞬時に、母が見たと言っていたのはこれに違いないと思ったとのことだ。

腰が抜けて立ちあがれなくなるほど驚いて、悲鳴を喉に詰まらせたまま、全身を慄かせながらテレビの方へ畳の上を後ずさった。
女はじっと茂男さんを見おろしている。

「……あ、あっちへ行け!」

しばらくしてようやく声を出せた。途端に、プチッとスイッチを切ったかのように女の姿が消えた。

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