ある一家と霊 「母が見たという女の霊はこれに違いない!」|川奈まり子の奇譚蒐集二三

朝、昨日と打って変わって曇り顔でいる母に何かあったのか訊ねたら、こんなことを言うので、茂男さんは最初、笑い飛ばした。

「なんだ。ますます子どもみたいなことを言い出した! それは、修学旅行で中学生が幽霊を見るのと同じだ。興奮したせいだろう」
「違うよ! 気配と足音で目が覚めて、初めは夢だろうて思うたったども、いつまでもミシミシミシミシ歩いてるすけ、目ぇ開けてみたんだ」
「そしたら? 何にもいなかったろ?」
「ううん! 髪の長い女が頭の上から私の顔覗き込んたった! 真っ青な顔が光って見えた。おっかのうてすぐ布団顔まで引きあげて目ぇ瞑ったすけ、後のことはわからねえけど……。気がついたら朝になったった」
「ハハハ! やっぱり夢を見たんだよ」
「……水辺には霊が出やしいというでねっか?」
「水辺? 岸辺まで少なく見積もっても200メートルはあるよ? それより、今日も母さんは仕事が休みだろう? どうする?」
「片づけするに決まっとる。あんたもやりなっせ」
「そう言うと思った。昼頃に小林さんが手伝いに来るって」

小林さんというのは茂男さんの婚約者で、彼は彼女と2人だけのときは「礼奈」と呼んでいる。

「まだ嫁だばねばて、デートしてきまれ!」
「かえって気を遣わせるよ。今からお互い慣れておいた方がいい」
「今かきゃて、あと3月もあら。……夢みてじゃ」

茂男さんは少し黙った。
会話の途中でふと「夢のようだ」と独りごちた母の気分がわかってしまったのだ。この20年余り母とつむいできた歴史を思い返せば、礼奈さんと結婚することになってからの新しい日々は夢のようだったし、遠からず家族が増えるということも家の建て替えも、なんだか嘘みたいな気がした。

「……きっと、ふだんと違う気分でいるからオバケを見たんだよ」

茂男さんがそう言うと、母が件のオバケを思い出したのか、一瞬顔をしかめて、「なんがが枕もどば歩き回っていたのは本当だし!」と頑固そうにつぶやいた。

おすすめの記事幽霊画の祟り(前編) 「某オークションで手に入れた謎の贋作」|川奈まり子の奇譚蒐集二〇