二人の幼い命を奪った事件取材メモ 畠山鈴香が生まれ育った秋田県能代市を歩く|八木澤高明

TABLO12_21_1700.jpeg畠山鈴香の実家には今は誰も住んでいない(筆者撮影)

 

 秋田県能代市の二ツ井地区を流れる藤琴川の中洲で、畠山彩香ちゃんの遺体が発見されたのは、2006年4月のことだった。
 前日に母親である畠山鈴香から娘がいなくなったと警察に通報があり、警察や消防団が中心となった捜索の結果、遺体となって発見されたのだった。

 警察は川遊びをしているうちに川に流された事故死としたのだが、そこから鈴香の不可思議な行動がはじまった。彼女は娘の死が事故死とは思えないと、ビラを配ってマスコミなどに訴え、一部マスコミから悲劇のヒロインとして注目されるようになった。

 娘の死から一ヶ月ほどして、同じ県営住宅に住む米山豪憲君が行方不明となり、能代市内を流れる米代川で遺体となって発見された。

 豪憲君の事件発生により警察は、鈴香に疑いの目を向ける。そして鈴香は事件発生から一ヶ月後、豪憲君の死体を遺棄した疑いで、逮捕された。その後、彩香ちゃんの殺害に関しても容疑を認めた。

 それにしても、彩香ちゃんの殺害に関しては、警察は当初事故死として事件性を認めていなかった。しかし彼女は自分で殺害したにも拘わらず、執拗に警察だけでなくマスコミにも、真相が知りたいと、執拗に訴え続けた。なぜ彼女は自らが捕まるような行動をとり続けたのか、そうした行動の背景は未だに解き明かされておらず、謎のままだ。

畠山鈴香の人格形成

 畠山鈴香が生まれ育った秋田県能代市を歩いた。世界遺産である白神山地の玄関口としても知られる能代市は静かな農村地帯である。鈴香の父親は、ダンプを数台所有する運搬会社を経営していた。母親は高校卒業後にJR二ツ井駅近くの繁華街宝来町にあるスナックで働いていた。その後二人は客とホステスという関係から結婚に至った。

 かつて母親が働き、それを目当てに父親が足繁く通った街の繁華街は今ではひっそりとして寂れてしまっていた。母親が働いていたスナックは既に無く、駐車場になっていた。江戸時代からの木材の運搬で賑わい、多くの人々であふれ返った街には、以前遊郭もあったというが、今日の姿からは想像もできない。

 二ツ井地区の中にある鈴香の実家を訪ねてみた。今では誰も住んでいないという家は、車道から砂利道を入ったススキの生い茂る野原の中にあった。門も塀も無いその家は、建築自体はしっかりとした体裁を持っているが、どこか人の温もりが感じられず、まるで港に置かれているコンテナのようにすら見える。

 家が人を造るという言葉があるが、この無機的な家は、畠山鈴香の人格形成に少なからず影響を及ぼしたのではないか。

 彼女は高校卒業後、栃木県の鬼怒川温泉で働くが、その後シングルマザーとなり、釣具屋、パチンコ屋と職を転々とした。さらには家に男性を呼び込み売春をしていたとの報道もある。高校時代彼女はいじめに遭い、卒業文集にも同級生から帰ってくるなだとか、悪辣な言葉を寄せられている。

 二人の子供を殺めた彼女の罪は重い。ただその一方で、駆け足で彼女の人生を眺めてみると、何とも言えぬ切なさを感じるのはなぜだろうか。

 畠山鈴香が暮らした県営住宅の近くには、一軒の雑貨屋がある。そこで店番をしていた女性がこんなことを教えてくれた。

「あの事件の日ね。お昼過ぎだったかな彩香ちゃんがひとりカップ焼きそばを買いに来たんだよ」

 焼きそばを食べて数時間後、彩香ちゃんは藤琴川に架かる大沢橋の上から突き落とされ、短い一生を終えた。(写真・文◎八木澤高明)