【新宿オカルト伝説】戸山脳病院で行われたマッドサイエンス「睾丸有柄移植事件」を追う!

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当時の戸山脳病院

新宿は、日本で最も怪談・オカルトめいた街だと言える。

江戸の二大怪談「お岩の四谷怪談」「お菊の皿屋敷」のルーツをさかのぼれば、新宿エリアの伝承に行き着く。かつて邪神が封じ込められた大庭園からは、平成元年に大量の人骨が発掘された。

江戸城から西に延びた地下通路は、旧日本軍によって改造され、いまだ秘密の巨大地下施設としてひそかに利用されている……。

新宿という土地にまつわる数多くの怪談や都市伝説、怪事件の歴史を調べるため、私はもう十年以上もこの地に住み続けている。そんな私が日々収集した「新宿伝説」の一端を、ここで紹介していこう。

「睾丸有柄移植」なる怖ろしい術式

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大正14年当時の古地図

今回まず取り上げるのは、ある陰惨な「手術」の話。新宿・牛込地区は大きな病院が幾つも並ぶ、日本有数の医療密集地域だ。その先駆けとなったのが1900(明治33)年に開設した「戸山脳病院」、今で言う精神科病院である。
しかし1925(大正14)年、この病院で「睾丸有柄移植」なる怖ろしい術式が行われてしまった。

具体的には、二人の精神病患者A・Bを生きたまま「睾丸」で結びつけるという手術だ。
まず睾丸からの内分泌が多い患者Aと、睾丸が発育不全である患者Bの両者を身動きできないよう縄で縛り付ける。そしてAの陰嚢を切開して出した睾丸を、そのまま(精管のついたまま)Bの右腕内部に移植したのである。もちろん二人とも、生きて意識を保った状態だ。映画『ムカデ人間』のマッド・サイエンティストめいた所業ではないか。

なぜそんなおぞましいことを……と思われるかもしれないが、担当医師である前田教授(慶應大学)には一応の理屈があった。
精力の強すぎる患者と弱すぎる患者を一緒にすれば、ちょうどホルモンのバランスが取れて、二人同時に症状が改善するのでは?という論法だ。これには当時の医学界の流行もからんでくる。

この頃、ウィーン大学の生理学教授ユージーン・シュタイナッハが提唱した「若返り法」が話題となっていたのだ。簡単に言えば、精管を縛ることで精子の排出を防ぎ(避妊法に利用されるパイプカットと同じ)、男性ホルモンのテストステロンを身体に充実させて若返ろうという考え方。
確かに現代でも多くの男性が活力充実・健康増進のため「オナ禁(オナニー禁止)」を行っており、それと発想としては同じだ。


非人道的な人体実験、そして開き直り

このシュタイナッハ手術は各地で話題を呼んだ。文豪W・イエイツも同手術によって創造力を取り戻したという。ここから多くのフォロワーたちが睾丸を利用する若返り法を試していったのだが、もちろんそれは動物実験だったり、遺体の睾丸から摘出した男性ホルモンを注射したりといった穏当なもの。「人間の睾丸を生きたまま結合する」という手術などどこでも行われていないし、その発想もなかっただろう。

前田教授は患者A・Bを十日間ほど密着させ、ホルモンバランスを安定させるつもりだった。しかし患者たちがそのまま大人しくしているはずもなく、3日目には両者が縄を噛み切って無理やり離脱。それによって患者Aは死亡。Bも数ヶ月後に亡くなってしまう。現代の感覚からすれば非人道的な人体実験であり、そのずさんさも含め殺人に近い行為にも思える。

とはいえ事件の顛末は、当時の谷口院長が責任をとって辞任したのみ。警視庁は「由々しい人道問題だ」と責めたが、検事局は前田・谷口の両名とも不起訴とした。
当の前田教授は「徳義上責任を感ずる」としつつも「併し仮に此事が問題となるようなら、我々医学者は、新らしい手術には、一切手出しが出来ず、従つて日本医学の前途に暗影を投ずるものだと思ふ」など、開き直りともとれるようなコメントを述べているのだ。

戸山脳病院はその後の1929年2月15日、患者の失火によって建物が全焼。11~13人の死者を出し、廃院となった。
そして焼け跡の地には二年後、「皇武館」が建設される。合気道の開祖・植芝盛平による初の本格的な道場だ(現在も合気道本部道場として運営)。「人体の仕組みや神秘を追求する」という面だけ見れば、戸山脳病院の跡地に合気道の総本山がつくられたのは、ある意味で象徴的かもしれない。

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現在の合気道本部道場

とにもかくにも新宿とは、このようなディープ・スポットが数多く点在する街なのである。

取材・文◎吉田悠軌

参考文献
『脳病院風景』杉村 幹・著 北斗書房
『松沢病院外史』金子嗣郎・著 日本評論社
『脳病院をめぐる人々』近藤 祐・著 彩流社
『精神病院の社会史』金川 英雄、堀 みゆき・著 青弓社