「借り」を膨らませて相手を操る裏社会の心理術…草下シンヤ『ちょっと裏ネタ』
人間、「借り」があると相手に対して強く言えないというのがサガである。裏社会の人間はその心理を巧みについて、相手を意のままに動かす。本来あるはずのない「借り」を過剰に膨らませたり、「負い目」を与えて人をコントロールする裏社会の心理術をご紹介しよう。
裏社会の人間を取材していて、よく聞く言葉は「なにかあったら言ってよ」というものだ。力のあるヤクザの幹部クラスから半グレまで、口を開けば「なにかあったら言ってよ」「言ってくれればよかったのに」「いつでも頼ってよ」などと言う。しかし、そう言われたところでこの手の危なっかしい誘いに乗る人間は少数だ。
復讐したいやつがいるからお願いしますとか、金の回収ができなくてお願いしていいですかなどと依頼すると、彼らは「お、いいよ」とあっさりと動いてくれる。この動きそのものに”対価”が発生することもあるが、怖いのは「いいんだよ、○○ちゃんの頼みなんだからさ」とにこにこ笑っている場合だ。必ず、その後は「また、なにかあったら言ってよね」などと続く。
だいたい、裏社会の人間を使って事をうまく運ばせようとする人間は知恵が足りない。知恵がないから他人の力を借りて意見を押し通そうとするのである。こういうタイプは裏社会とのつながりを構築すると「俺は○○組の○○さんに面倒見てもらってるからさ」から始まり、「俺は○○組と付き合いがある」、挙句の果てには「俺は○○組だ!」などと変化していくから始末が悪い。
このような一切中身のない愚かな出生魚になにが待っているかといえば、それは見事に切り身になってサバかれるのである。
以前、わたしと交流のあったS君。
彼は過去に美容師を志し、アメリカに渡り修行を積むが、渡米先で芽が出ず、日本でも自分の希望する美容院に勤めることができず、パチンコ漬けになるという経歴の持ち主だった。
彼は地元の神奈川県のパチンコ店でチンピラと出会い親交を深めた。S君いわく、「喧嘩とパチンコが強くて、いつもタバコをくれる」人物だそうだが、わたしには魅力的な要素がなに1つ見つからなかった。
しかし、人生にくすぶっていたS君はチンピラ氏に傾倒していき、つるむことが多くなっていった。
最初の頃、S君は楽しくやっているようだった。
「○○さんがさ、打ち子の手配してるんだけど、俺に良い台教えてくれるんだよね」
「……そう、よかったね」
チンピラ氏に影響を受けたS君は徐々にその口調や風貌も変化していった。ラメ入りのシャツを着て、セカンドバックを持つようになっていた。
「俺の兄貴がさ、いい商売始めたんだけど、一緒にやらない?」
「……いや、俺はいいや」
その兄貴は大丈夫なのかと忠告したが、S君はまるで取り合わなかった。
2、3ヵ月後、S君は少し疲れた顔をしていた。目の下に濃いくまが張り付き、肌は水分を失い、口の周りには粉を吹いていた。
「兄貴に車を貸してくれって言われて貸したんだけど……」
言いづらそうにしていたが、なかなか口を割らなかった。しつこく尋ねるとS君は憔悴した様子で話し出した。
「その車がネタの取引に使われちゃって、警察が俺のことも追っているみたいなんだ」
裏社会で注意しなければいけない言葉の1つに「車を貸して」というものがある。車が必要ならば自分でレンタカー屋に行けばいいのだ。それをしたくないというのだから、なんらかの事情があるに決まっている。借りた車をよからぬ物の取引に使ったり、バットを担いで誰かを襲いにいくなんてニュースを目にすることは珍しくないだろう。
「なんで、車なんか貸しちゃったの?」
わたしが聞くとS君はうつろな目で答えた。
「これまで兄貴にはよくしてもらったし、こんなことになるなんて思わなかったんだよ」
チンピラ氏はS君に長い時間をかけて多大な「貸し」を作っていた。いよいよそれを回収する時期に来たのだ。
しかし、今更チンピラ氏と距離をとれと言ったところで、すでに同じ「事件」に関わってしまっている。共犯者のつながりは時として血よりも濃い。
わたしはS君にいくつかのアドバイスをして、その後定期的に連絡をとることにした。
結局、S君がこの事件で警察に捕まることはなかった。車も無事に戻ってきた。ひょっとすると、この話自体、チンピラ氏がS君を完全に取り込み、支配下に置くためにしたブラフだったかもしれないが、それはわたしには確かめようがない。
「兄貴のおかげで助かったよ。いちおう、大丈夫だった」
ほっとした声の報告を受けたが、わたしの気持ちは晴れなかった。その後、S君は自分からはわたしに連絡をしてこなくなった。時折、心配になりこちらからコンタクトを取るが、留守電になり、折り返しがなかったり、電話に出ても億劫そうに一言二言話すだけで切ってしまう。
噂によると、S君はチンピラ氏の下で詐欺まがいの仕事をしているという。
最後にS君と話したのは1年以上前になるが、近況を聞いたわたしに吐き捨てるように言った言葉が印象的だった。
「うるせえな、俺だってよくわかんねえよ」
入口はパチンコ店で会ったときに、チンピラ氏がS君にあげた、1箱のタバコだったのかもしれない。しかし、そのときの「借り」がここまで膨らみ、S君の人生を破壊してしまったのである。
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Written by 草下シンヤ
Photo by gagilas
セカンドバックの中身が気になる。