1980年代に子どもだった私にとってコンビニは「贅沢品が買える」特別な場所だった|中川淳一郎

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 今やコンビニは至るところで見ることができるが、かつては珍しかった。個人商店や酒屋で買い物をしていたのである。スーパーの営業が夜の7時や8時までの時代で、個人商店や酒屋は9時ぐらいまで開いていた。だからちょっと遅い時間に夕食を作っていた時などで醤油がないのに気づくと、酒屋へ行き「あぁ、開いてて良かった」なんて言いながらスーパーよりは割高な醤油を買ったりしていた。

 1980年代からコンビニは加速度を高めて増加しているが、まだ「コンビニ」という略し方はそれほど普及していなかったのではなかろうか。あくまでも「セブンイレブン」やら「ヤマザキデイリーストア」といった言い方をしていた。ちなみに私が小学5年生ぐらいの時、地元・立川市の某エリアには1軒セブンイレブンがあるだけで、ファミリーマートもローソンもなかった。

 だから、その年に福岡から引っ越してきたS君の父が「ローソン」なる「セブンイレブンみたいな店」を運営していたがその店を畳んで東京に来たという話を聞いても「ローソン」が一体なんなのかは分かっていなかった。

 さて、その呼称だが、過去の書籍が参考になる。漫画家の東海林さだお氏の週刊朝日の連載『あれも食いたいこれも食いたい』のうち、1987年から1988年にかけて執筆されたものは「キャベツの丸かじり」としてまとめられているが、その中にはコンビニについてこういった記述がある。「マヨネーズの跋扈」という回だ。

〈ゴハンにマヨネーズは、まずおにぎりに定着した。コンビニエンス系のストアでは、「梅干し」「や「シャケ」より「シーチキン・マヨネーズ」の方が売れゆきがいいそうだ〉

 このエッセイは、マヨネーズが様々な場所に登場する様をオッサンは困惑しているということを示したもの。今で言う「ツナマヨ」は当時は新しい存在で、オッサンからすると〈「なにィ? ゴハンにマヨネーズ?」とけわしい顔つきになる〉というものだったそうだ。それはさておき、東海林氏はここで「コンビニ」ではなく「コンビニエンス系のストア」と呼んでいる。
 
 別のエッセイ(どれだかは失念した。申し訳ない)で同氏は「コンビニエンス系のストア」ないしは「コンビニエンスストア」と書くのが長ったらしいということで「以下『コンスト』と呼ぶ」と注を入れたうえで略していた。もしも「コンスト」が定着していたら……と考えると、なんだかかわいらしい響きでありつつも若干間抜けな音感でもある。まぁ、「コンビニ」が定着したわけだが、「コンビニ」だと「簡易」を略しただけで、「店」の意味を踏まえていないため、「コンスト」の方が本当は正しい姿だったのだろう。

 さて、1980年代のコンビニだが、セブンイレブンのCMをよく覚えている。

「セブンイレブン、いい気分。開いてて良かった!」

 これが決めのコピーなのだが、「開いてて良かった!」に時代性を感じる。恐らく今の若者はなぜ同店の名前が「セブンイレブン」という「7」「11」という数字なのだかピンとこないだろう。「7時から11時(23時)まで営業」ということを意味しており、「朝早くから夜遅くまで開いてるから助かる!」といった意味合いだったのだ。

 CMでは「24時間営業店もあります」といった注意書きがあったが、概ね7時から11時までだった。CMの内容は、居酒屋にいるサラリーマンが時計を見ると10時30分になっている。時計の文字盤に激怒する妻の顔が浮かびあがり、慌ててセブンイレブンに走り、「開いてて良かった!」となるのだった。

 あとは「メキシコ生まれのアメリカ育ち、ブリトー!」というCMコピーもあった。今でもブリトーはセブンイレブンで売ってはいたものの、小学生の少年にとっては謎の食品に心がウキウキしたものだ。だが、現在のようにプライベートブランドがふんだんにあるわけでもないため、当時のコンビニは割高だった。だからこそ、普段はスーパーに行っており、セブンイレブンに行く時は緊急事態に限られていたのである。

緊急事態に食べた「イカフライおかか弁当」

 それこそ、中学時代(1986年~)母親が寝坊をし、弁当を作れなかった時などに連れて行ってもらい、パンやおにぎりを買ってもらうのである。当時、「学校にはお金を持って行ってはいけない」という校則があったため、私と姉を連れ、母親は我々に「ほら、好きなもの買っていいよ」と言って選ばせた。

 この「緊急事態感」と、贅沢品を買ってもらう感じが非常に特別だった。そして、中学校入学直前の1986年3月23日、東京は「伝説の大雪」ともいえる状態になり、各所で停電が相次いだ。ガスは通っていたのだが、手元が見えないため、料理をするのはあまりにも危険だった。そこで私は夜になる前に母親から「セブンイレブンに行って好きなお弁当買ってきていいよ。明日の朝の分も買ってきてね」と言った。

 この時、正直嬉しくてたまらなかった。何しろ普段は食べることができないセブンイレブンの弁当を食べられるのだ! ウキウキしながら店に入ると弁当は豊富に残っていた。この時、「イカフライおかか弁当」というものが目に入った。うひょー、これはウマそうだ、とばかりに買ったのだが、本当に当たりだった。

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 大量のごはんの上に醤油で味をつけたおかかが敷き詰められ、その上にはドーンとソースに漬けられたイカフライが鎮座しているのである。さらにはかき揚げもついており、なんともボリューミーなこの弁当は今でも「生涯No.1弁当」ともいえる。緊急事態だからこそ、特に美味しく感じられたのかもしれないが、私は以後、大雪になることを密かに期待するようになった。そうすればまたセブンイレブンの弁当を食べられるのだから。

 2000年代に入ってこの弁当は復活。そして最近でもイカフライおかか弁当は時々セブンイレブンで見かける。それだけ復活を望む声が多いのだろう。今でもこの弁当を見ると買いたくなってしまうが、自分にとってコンビニが「日常」ではなく「特別」な場だった時代のあの思い出を壊したくないから、と買うことができないのである。(文◎中川淳一郎 連載『俺の昭和史』第二十一回)