昭和の子供を熱中させた「機動戦士ガンダム」 当時の私が入手できたガンプラとは|中川淳一郎
意外と人気のあるジム(Amazon販売サイトより)
昭和の熱狂を振り返るうえで避けて通れないのが「ガンプラ」だろう。もともと『機動戦士ガンダム』は1979年の放送では視聴率の低迷から本来52話だったのが、43話で終了。ニュータイプの「シャリア・ブル」の登場があまりにもアッサリし過ぎており、横山光輝三国志における「官渡の戦い」が一コマで終わったのを彷彿とさせる。いくら諸葛孔明を早く登場させたいとはいえ、曹操と袁紹の天下分け目の一戦がここまでシンプルに流されるとは……と思ったものである。
一方のガンダムだが、1981年の再放送ではとんでもない人気を誇り、ガンダムシリーズのプラモデルである「ガンプラ」は大人気となった。同作の大ブレイク後、各地のおもちゃ屋やショッピングセンターではガンプラが売り出されたが、私が初めて手にすることができたのは「ムサイ」である。
お世辞にも「欲しい!」とは言えないムサイ(Amazon販売サイトより)
通常、ガンダムやザク、ゲルググといったモビルスーツのガンプラが人気になるため、数時間待ちの大行列を作ったが、そのあげく、整理券をもらって購入できたのがあまりにも地味な戦艦タイプの「ムサイ」だったのだ。これには落胆したが、とにもかくにもガンプラを自ら作らなくては小学校2年生のクラスでは遅れたヤツ扱いになってしまうため、ムサイをなんとか作った。
当然、ガンプラを学校に持ってきて皆でお披露目会をするわけだが、中にはシャア専用ズゴックがGM(ジム)の腹を突き破る様子を再現する者もいたりする中、ところどころに接着剤の汚らしいカスがつき、塗装もしていない私のムサイはあまりにもみすぼらしかった。
その数週間後、再びガンプラが近くのショッピングセンターに入荷されたという情報を聞き、買いに行ったのだが、この時に買えたのは「リック・ドム」であった。「黒い三連星」で名高い陸戦用の「ドム」はまごうことなきスターガンプラの一つであるが、宇宙戦用の「リック・ドム」は人気度でいえば低かった。
ドムは「黒い三連星」以外価値なし(Amazon販売サイトより)
背中についた「バーニア」と足の裏の形が違うものの、それほど大した差はない。だが、マッシュ・ガイア・オルテガの「黒い三連星」が連邦軍を苦しめたのに対比し、コンスコン隊の12機のリック・ドムがアムロを中心とした連邦軍に3分で破壊され尽くしたイメージがあったため、リック・ドムはもはや当時の小学生からすれば、量産型ザクと同じような扱いになってしまっていたのだ。
だからこそ、リック・ドムをなんとかゲットした私ではあるが、学校にはやはりガンダムやガンキャノン、ゲルググにギャンといった人気モビルスーツを持ってくる同級生が多かっただけに、またまた恥ずかしい体験をしてしまった。
今でも不思議なのが、一体どうやって彼らは「○○(店の名前)にガンプラが入荷される!」という情報をGETしていたのか、ということだ。今の時代、ネットがあるため早売りの情報や、独占入荷情報などは分かるだろう。
それなのに当時の子供達はこうした情報を知っていた。「週刊少年ジャンプ」も本来の発売曜日よりも1日早い曜日に発売される店を知っている子供もおり、いつしかそれは我々の地域では常識的なこととなり、皆がその店で買っていくようになった。情報感度が昔から弱い私としては、本当に不思議な現象だった。
ガンダムシリーズといえば、初代の『機動戦士ガンダム』に続き『機動戦士Zガンダム』が登場し、以後新作が続々と登場。ただ、実際のところ我々のように40代中盤~50代前半の人間からすれば「ファーストガンダム」(『機動戦士ガンダム』)か「Z」ぐらいしか見たことがない人も案外多いのでは?
だからこそ今年5月にNHKで放送された『ガンダム総選挙』では「ファースト」が1位になったのだろう。我々のような第二次ベビーブーマー世代の「思い出補正」と当時のあまりの熱狂が今回の結果をもたらしたのかもしれない。その後にも優れた作品はあると思うのだが、少し見るだけで「こんなのガンダムじゃない!」なんて言いたくなる人が「ファースト」のファンには案外多いのだ。(文◎中川淳一郎 連載『俺の昭和史』)