今から半世紀前に起きた、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディの暗殺は陰謀だと信じるアメリカ人は非常に多い。その割合は日本人の方が多いかもしれず、アンケートを行ったわけではないが、ネット検索をした雑感ではユーザーの間ではほぼ全員がそう思っているように見える。筆者は、この陰謀説は暗殺研究家たちが証拠や資料を改竄して捏造したという見解だ。今回は、陰謀の大きな証拠、オズワルド無罪の動かぬ証拠として認識されている説の実態を解説しよう。
公式見解では、元海兵隊員リー・オズワルドがケネディのパレード後方のビルから大統領をライフルで狙撃して死に至らしめたことになっている。だが、ニューオリンズ州元地方検事のジム・ギャリソンは、映画『JFK』の原案となった著作『ON THE TRAIL OF THE ASSASSINS』(1988年)において「リー・オズワルドは、逮捕当日、硝煙反応テストを受けている。その結果によると、オズワルドはそれに先立つ二四時間以内に銃を撃ってはいない。連邦政府およびダラス警察はこの事実を10ヶ月間秘密にしていた」(邦訳版二一ページ)と主張している。
硝煙反応テストとは、銃器を使用すると銃の弾倉部分と銃口から硝煙が発生し、火薬の微粒子が狙撃手の体に付着するため、溶けたパラフィンを体に塗布して残留状態を確認し狙撃の有無(硝煙反応)を判定する鑑識手法ことだ。
ギャリソンの説明は少し事実と異なるが、実際にはオズワルドの頬からは反応が出なかった(陰性)が、両手からは出ていた(陽性)のだ。この結果が何を示すかというと、銃弾発射の際には銃口部分と弾倉部分から火薬の微粒子が吹き出すが、銃器がライフルの際にはスコープを覗いて狙いを定めるため銃身と顔の距離が近くなり微粒子は頬に着きやすく、拳銃の場合は銃身が短く体からの距離が相対的に遠いため手に着きやすいという特徴がある。先の検査の結果、オズワルドは、拳銃は使用したかもしれないがライフル使用の痕跡は無いと判定されるのだ。
暗殺研究家はこのように解説する。
「他ならぬウォーレン報告書にも出ている話だが、硝煙内の科学物質は日常生活品にも微量に含まれており、爆竹やクラッカーを使ったりマッチを擦った際にも火薬使用の痕跡が出るため、反応が"陽性"でも銃器使用の証拠とはならない。検査の結果は"自分は誰も撃っていません"という彼の抗弁を裏付け彼の無罪を示していたが、ウォーレン委員会はFBIの銃器専門家から話を聞きながら、彼はライフルを使用して大統領を狙撃したというデタラメな結論を下していたのである」と。
かくて、日本のインターネット環境で「オズワルド」「硝煙反応」もしくは「オズワルド」「パラフィンテスト」で検索すると、ウォーレン委員会のインチキだという主張が有象無象に出てくることとなったのである。
だが、研究家が批判している肝心感目のウォーレン報告書によると、事の概要は著しく異なっている。報告書560~562ページの「(オズワルドの)硝煙反応」の項では①「オズワルドの右手からは硝煙反応が出たが、頬からは出なかった」②「反応が出ても『銃器使用の痕跡』とはならない」③「反応が出なくとも『銃器非使用の証拠』とはならない」④「③と④の理由の説明と独自の実験による裏付け」の詳細な記載があった。オズワルドの硝煙反応の鑑定結果は事実確認にあまり意味がないというのが委員会の意見だったのだ。
報告書の記載を鵜呑みにするわけにはいかないので、この意見の根拠となった委員会証言記録をチェックしたが、これら話の大半は、FBIの銃器専門家及び鑑識とウォーレン委員会の間で相互確認されており、彼らの間で、検査の結果は信頼性がないとか、"硝煙反応テストをすれば、お前が銃を撃ったことが判明する"と容疑者に通告しただけで心理的効果があり、テストは科学的チェックという意味では無意味ではないとやりとりされていた。
その後、オズワルドのライフルを試射しても陰性反応になり、拳銃を撃っていない人を検査しても陽性反応が出たという結果も委員会に報告されている。
委員会の席でオズワルド有罪説に都合の良い証言だけが出ていた可能性を考慮して、犯罪捜査や銃創(銃弾による傷)に関する文献を読んでみたが、彼らが牽強付会をしたり強引な理論付けをした痕跡は無かった。専門的見地から言うと、後方から風速二メートルほどの風が来ただけで火薬の微粒子は霧散し射手には付着せず、衣服に付いても軽くはたくだけで痕跡は無くなり体に付着しても軽く濯いだだけで流されてしまうのだ。
重要なポイントだが、パラフィン検査が開始された一九一0年代当時の火薬に比べて近代の無煙火薬は硝煙の量が減り射手の体や衣服に着きにくく、リボルバー式(弾倉回転式)拳銃の場合、弾倉が回転し中の空気が横に出るため硝煙が付着しやすいが、オートマチック式(自動装填式)拳銃やオズワルドの用いたボルト・アクション・ライフルの場合、弾倉が空気密閉されているため空気は上に漏れ射手に付着する硝煙の量は少なくなり、反応が「陰性」となることも珍しくはなかったのだ。専門書では「テスト結果に多くを期待できない」「無意味なのでテスト自体廃止すべきだ」という辛辣な意見もある。テスト結果を聞いたダラス署の方でも、よくあることなので別段驚きはしなかったのが現実だ。より専門的に解説すると、オズワルドの手の硝煙の付着パターンはリボルバー拳銃使用の典型であったため、直接の逮捕容疑である"拳銃を用いた警官射殺"の証拠にはなるのである。
研究家たちは一連の話の中の陰謀説に都合の悪い部分を隠し、硝煙反応テストの形骸化の事実を説明せずに「陰謀が証明された」「オズワルドは無実だ」と騒いでいただけなのである。
だが下には下がある。ジム・マースは映画『JFK』の原案である八九年の著作『CROSSFIRE』では少なくとも手の硝煙反応のことは書いていたが、今年邦訳が出た著作『マスメディア・政府機関が死にもの狂いで隠蔽する 秘密の話』(渡辺亜矢訳、甲書房、原題『ABOVE TOP SECRET』、2008年)では、頬と手から硝煙反応が検出されなかったという虚偽の説明に変わっていた。マースは十九年のうちに話を盛るようになり、劣化が進んだようだ。
この本の訳書にはこの記載の後に「(頬からは出なかったが、手からは反応が出たという説もある)」(一九七ページ、引用文中中の「()」原文ママ)という注釈風のくだりがある。これは「という説もある」と表現するような真偽不明情報ではないが、原著にはなく邦訳版にのみ存在する文章であるため訳者もしくは邦訳版編集者が挿入したと思われる。
その場合、原著者が嘘を書いていることを読者に説明すべきだが、それが出来ず中途半端な記載になったのだろう。状況は日本でも似たり寄ったりで、2009年9月26日にNHKハイビジョンで放映された『世界史発掘!時空タイムズ編集部「ケネディ大統領暗殺」』ではゲストの土田教授が「オズワルドの手と頬から硝煙反応が出ていなかった」と公共放送の電波で事実無根の説明をしていた。
日米で暗殺通として知られている人たちの実態はこんなものなのである。ウォーレン報告書の内容を知ってさえいれば、陰謀の有無とか委員会の嘘という話は別にして、少なくとも彼ら研究家の言い分が疑わしいことに気付けるが、委員会があまりに不人気になったため誰も報告書を読まなくなり、委員会の主張や報告書の内容を改竄引用してもバレル可能性が無くなった状況が彼らを助けたと言えよう。
オズワルドの両手の火薬付着パターンが弾倉回転式(リボルバー)拳銃を撃った典型だったことを考えると、彼が倉庫ビルの窓からライフルの銃身を覗かせて狙撃した時は広場全体が強風に見舞われていたため、窓から露出していた銃口部分の硝煙は横風で飛散し建物内のオズワルドに付着せず、弾倉からの硝煙は窓からの風で飛散し顔に付着しなかったと思われる。逃走中顔を洗ったため硝煙の痕跡が消えた可能性もある。ティピットを撃った時はそれほど風が吹いておらず、逮捕までの間に手を洗う時間も機会もなかったのだろう。
ケネディ暗殺に陰謀があったという意見がどれほど大勢を締めようとも、実態は「万犬虚に吠えた」に過ぎないのである。
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Written by 奥菜秀次
Photo by ケネディからの伝言/小学館
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