平昌五輪のマスメディア報道は「メダル気狂い」 金・銀・銅でしかスポーツを伝えられない

2018年02月26日 オリンピック マスメディア メダル 平昌五輪 日本

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 平昌五輪が終った。冬季五輪史上、最高のメダル獲得数だとメディアは報じている。

 メダル! メダル! メダル!

 かつて、こう報道するメディアに対して、「メダル気狂い!」と言い放った女性アスリートがいたことを、ふと、思い出した。

 画面や紙面に、麗々しく色鮮やかな各国のメダルランキングを作り、我が国のメダル獲得数を誇示するマスメディア。しかし、日本以外の国々を見れば、そう、冬季五輪とは五輪とは名ばかりの、ヨーロッパ、北米、東アジアが中心であることがわかる。
 それはそうだ。アフリカ、中東、南米で、あるいは東南アジアの国々に冬のスポーツ、スキーやアイススケートが盛んになる環境はない。言ってみれば、彼らにとって冬季五輪は『冬季三輪』、夏季五輪の付け足しのようなものだ。
 種目数を見ても、一九七二年の札幌五輪は三五種目、九八年の長野では六八種目、そして今回の平昌では、一〇二種目となっている。マスメディアは、こういった種目数の飛躍的増加には、目をつぶって、ただ単にメダル獲得数に血眼になっている。
 そこに、視聴者、読者は、焚き付けられ、煽られ、誑し込まれてゆくのである。

 オリンピック憲章では、IOC(国際オリンピック委員会)、OCOG(大会組織委員会)は、国ごとの世界ランキングを作成してはならないと定めている。確かに憲章では、メディアにメダルランキングを作成してはならないと明示してはいない。
 しかし、日頃マスメディアは、五輪の理想である平和、自由、友情などを語りながら、もっとも興味を示すもの、それはメダル獲得数という国威発揚以外にない。ここにマスメディアの胡散臭さが露呈するわけである。

 なぜ、こうもメダル獲得数にこだわるのか。

 それはまた単純明快なことだ。コマーシャリズムである。私は、コマーシャリズムを全面的に否定しているわけではない。しかしそこには、スポーツにルールがあるように、当然コマーシャリズムにもルールがある。だが、今日のマスメディアの報道を見る時、そのルールを逸脱してはいないだろうか。

 オリンピック、そこには、日本選手だけはない様々な国のアスリートの素晴らしいパフォーマンスがある。それを見たい。それを読みたいのだ。
 アナウンサーの無意味な絶叫、『北朝鮮美女応援団』の報道に見られる金太郎飴状態のワイドショウ。マスメディアは、視聴者、読者を、この程度の人とナメているに違いない。

 平昌五輪が終った。マスメディアにおける五輪狂騒曲は、二〇二〇年まで続く......。(文◎高部雨市)

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