逃走犯・福田和子の暮らした来島に行く連絡船(筆者撮影)
人気バラエティー番組の『逃走中』(フジレテビ)さながらに、松山刑務所大井造船作業場から逃げ出した、平尾龍磨受刑者。テレビの世界では、逃げているのが芸能人であるから笑って楽しむことができるが、こちらはガチの犯罪者が日常に紛れ込んでいるわけで、受刑者が潜んでいると思われる島に暮らしている住民からしてみればたまったもんではないだろう。
平尾受刑者が逃げ出した大井造船作業場は、塀の無い開放的な矯正施設として知られている。ちょっと話が横道にそれるが、この矯正施設から7キロほど離れた場所に、あの稀代の逃亡犯、福田和子が幼少期に暮らしていた来島がある。彼女は松山刑務所に服役していたことがあり、「松山刑務所事件」に巻き込まれている。松山刑務所事件とは、暴力団関係者が看守を買収し、飲酒や喫煙、女囚を強姦するなど、やりたい放題の無秩序状態を作り出した事件のことだ。その事件の被害者のひとりが福田和子だった。
1982年に福田和子は松山ホステス殺害事件を起こし、時効寸前で逮捕されるまで逃亡生活を送る。もしかしたら、松山刑務所で遭遇した悲劇が頭をよぎり、刑務所へ入ることを拒み、逃亡生活に入ったのかもしれない。新来島どっくという名称を聞いた時、不思議な因縁に思わずうなってしまったのだった。
刑務所の話に戻すと、この矯正施設には、常に刑務官が監視しておらず、しかも寮の出入りは自由、部屋には鍵もない。受刑者は一般作業員と一緒に作業する。ただ寮内の規律は軍隊並みに厳しく、あまりの厳しさに1996年には、一般の刑務所に戻りたいと脱走事件が発生するほどであった。果たして、平尾受刑者の逃走にはどのような背景があったのかは定かでない。
ちなみに近年でも脱獄事件はたびたび発生している。2012年1月11日は、広島刑務所に服役していた中国人受刑者の男が、用具小屋の屋根から塀を乗り越え、脱走し、広島市内で車上荒らしや民家に盗みに入るなどしたが、2日後に身柄を確保された。当時法務大臣が広島市長を訪ね謝罪するほどの騒ぎとなった。
刑務所から4度も脱走した男がいた
犯罪史を振り返り、世間を騒がせる脱走犯として、日本で知られているのは、白鳥由栄であろう。昭和の脱獄王として知られ、26年間の服役中に4回も脱獄に成功し、その中には、当時の厳重な警備で知られていて網走刑務所からも脱獄している。
網走刑務所から脱獄したのは3度目の時だった。官吏としても、ここでまた脱獄を許してしまえば、面子に関わるということで、手足には20キロの足錠の手錠をかけられ、独房に収監された。蟻ももらさぬ警備であったはずだが、白鳥は1年後に独房から姿を消した。
その手口は、鉄の錠に食事として出されていた味噌汁を吹きかけ、錆びさせたのち、歯で手錠を締めつけていたナットを緩ませたのだった。手錠、足錠が外れると、次に鉄格子にも味噌汁を吹きかけた。数ヶ月の後、鉄枠を緩ませ、そこから抜け出したのだった。
その白鳥は4度目の逮捕で札幌刑務所に収監されたが、床下からトンネルを掘り、映画『大脱走』さながらに脱獄したのだった。5度目の収監は、府中刑務所だったが、ここでは一転模範囚として過ごし、1961年に仮釈放。その後は建設現場などで働き、1979年に亡くなっている。
白鳥由栄は、超人的な忍耐力と体力を持って、4回の脱獄を成功させた。当然ながら、白鳥ほど脱獄を成功させた受刑者は日本にいない。
そして今回逃走中の、平尾受刑者は、120件以上窃盗の余罪があり、盗みを続けながら逃走を続けていく可能性がある。警察は1200人もの捜査員を広島県の向島に動員して捜索を続けているようだが、もうすでに島を渡って本州に潜伏しているのか、依然としてはっきりとした足取りはわかっていない。(取材・文◎八木澤高明)
【関連記事】
●なぜ北関東で殺人事件が起こるのか――その土地的因縁は「江戸時代の農村」へと遡る
●恐怖のタクシー! 菊地桃子だけではない芸能人をストーカーする人々
●イケメンヤクザに一目惚れ 捜査情報を漏洩させた新宿署の女性巡査・T子(23)