ワイドショー向けの今回の「脱走事件」が起きたのは4月8日(日曜日)夕刻。場所は松山刑務所の開放施設として1971年に開所された『大井造船作業場』。逃走犯は懲役5年6月の窃盗犯・平尾龍磨受刑者(27)だが、未だ身柄は確保されていない。愛媛、広島県警が潜伏先と見られる尾道市向島を重点的に捜索を始めたが、13日(金曜日)には山口、鳥取、岡山県警も捜索に協力するため総員1200名体制の大掛かりな捜索になってしまった。
しかし、平尾は13日現在発見されておらず身柄確保に結びつく手がかりもわずかなもの。果たして、逃走犯は向島に潜伏しているのだろうか? 塀のない刑務所を脱走したのは殺人犯でも強盗犯でもない窃盗犯だが、島民を不安にさせている理由は「受刑者の脱走」というアクシデントと二次犯罪を危惧してのことだろう。
過去に大井造船作業所から脱走した事件は18件発生しているが、何れも刑務所に逮捕権がある48時間以内に身柄は確保されているが、今回の脱走は異例の事態になってしまった。
刑務所からの脱獄、脱走事件は戦後20件以上発生しているが、なかでも、55年5月12日に死刑囚のK・Tが東京拘置所から脱獄した事件は都民を震撼させた(11日後に実家で逮捕。147日後には仙台送りになって刑を執行された)。
また、稀代の脱獄王と呼ばれたS・Yは4回の脱獄にチャレンジして成功している。なかで網走刑務所の脱獄はドラマになるほど有名な事件であった(Kは79年2月24日に心筋梗塞で亡くなる。享年71)。
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ところで、「塀のない刑務所」とは、どんなところなのか。出所者に話を聞いてみた。
「大井は受刑者の自治管理で寮生活(受刑者は寮生と呼ばれている)が運営されています。会長、副会長、連絡委員、議長、班のリーダーという5役があって全て受刑者の役職なんです。造船所の作業ですから鋼材を扱います。夏場は熱射病で失神するものもいます。
俺も何度か逃げようと思ったことはありますが、仮釈放がいいので歯を食いしばって頑張りました。受刑者はほとんどが初犯で殺人、強盗、レイプ犯はいません。今度の逃走事件は協力者がいないと無理でしょう。だから四国4県出身の受刑者は施設に入れないということを聞いています」
さて、逃走犯は現在も向島に潜伏しているのだろうか? あまり長引くと゛逃走に協力する応援団が出来てしまうのでは......。ネット情報が熱くなっている。(文◎斎藤充功)
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