いま、警視庁管内にある某警察署刑事課の取調室で、この原稿を書いている。今日の現場である大型スーパーにおいて、ふたつの惣菜を盗んだ男を捕まえて警察に引き渡したところ、執行猶予中であることが判明して逮捕されることになったのだ。実況見分をすませて、ある程度の内容を話してしまえば、我々にやることはない。刑事や警察官が手分けして作成する書類が完成するのを待つしかなく、とにかく暇なのだ。
先ほど捕捉した被疑者は、三十代後半の男性で、この季節の風物詩ともいえる志願兵だった。志願兵とは、軽微な犯行を繰り返し、留置場などへの出入りを繰り返す者のことをいう。冬場に急増するのは寒いからで、居場所のない彼らにとっては、自由はなくとも寝食に不自由しない留置場に入れてもらった方が楽なのである。その目的を悟られて逮捕してもらえない累犯者も多数存在しており、切羽詰まって、より大きな事件を起こす事例も珍しくない。
「俺、十日前に拘置所から出たばかりで、執行猶予中なんですよ......」
事務所の応接室で、テーブルに並べられた被害品を前に、なんら悪びれることなく告白する男に呆れる。何をして刑務所に行ったのかと聞いてみると、窃盗(万引き)や傷害、強制わいせつ、事後強盗などの罪で三回の懲役を務めたと饒舌に語った。親兄弟とは絶縁しており、頼れる身寄りはなく、住む家も金もないので、拘置所を出てからの一週間は更生保護施設に身を寄せていたという。そこで生活保護を受給して、職を探したものの上手くいかずに、施設での暮らしが嫌になって脱走してきたらしい。
この三日間は浮浪者生活だったというので、施設に戻るよう進言してみると、よほど嫌な思いをしたのか絶対に戻りたくないと頑なに拒まれた。施設で暮らすのは耐えられないし、娑婆にいても生活できないので、懲役に行きたいと言うのである。
被害品は弁当と総菜の二点で、被害総額は五百二十円であった。男の所持金は、八百円。商品を買い取れる状況にあるが、これが全財産なので払いたくないと主張している。あまりに身勝手な話ではあるが、買い取りを強要する訳にもいかない。店の内規に沿って警察に通報して、現場に臨場した警察官が男の犯歴を照会した結果、男の望み通りに逮捕されることになった。
このくらいのことで逮捕されるのかと不思議に思う方もおられるだろうが、被疑者の生活状況や前科前歴によっては、被害の大小に関係なく逮捕されることになる。当たり前のことであるが、万引きは立派な犯罪なのだ。
万引きの処理手続きが簡易化されたといっても、それは微罪処分や簡易送致に該当する事案だけで、基本送致や逮捕事案に遭遇してしまえば長時間の対応を余儀なくされることに変わりはない。今日作成しなければならない書類は、被害届、供述調書、現行犯逮捕手続き書(乙)、任意提出書、還付請書の五枚で、それ以外に現場の見取り図も作成する。
刑事課の扱い状況をはじめ、担当刑事や警察官の能力にもよるが、どれだけスムースにいっても三~四時間はかかる作業だ。毎度のことながら同じことを何度も聞かれ、コピペすることなく同じような書類を何枚も作ることには疑問を感じるが、捜査書類の流出を防ぐために文書保存が禁じられているから仕方ないらしい。
これでパソコンの使用が許されない研修中の新人警察官が担当になれば、その手際の悪さから相当な時間が費やされることになり、かなりの苦痛を強いられることになる。だが、今日の担当は幸いなことに、以前にも何度か担当してくれたことのある処理能力が高い二十代後半の女性刑事になった。店の住所や店長の人定はもちろん、俺の人定をはじめ家族構成までメモしてあるところからも、その能力の高さが窺い知れる。むさ苦しい男性刑事より、少しでも華のある女性刑事が担当してくれた方が気楽で、時の経過も早く感じられるから不思議だ。
結局、午前一時を過ぎて、ようやくに解放されることになった。捕捉した時間は午後六時半を過ぎた頃だったので、すべての手続きを終えるまでに六時間以上かかったことになる。女性刑事が担当した調書は早く片付いたが、それ以外の書類を担当したのが新人警察官であったために、余計な時間がかかってしまったのだ。生きる意味を失くした人物を相手に、無駄な労力を費やしている気もするが、彼の生命を救ったと思い直して自分を納得させる。
もっと、いいやり方があるのではないだろうか。
このような被疑者と関わる度に、社会の在り方を考えさせられるが、我慢の効かない人間を救う術はなく、ただ歯痒いばかりだ。
Written by 伊東ゆう
Photo by Photomiqs
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