2016年4月8日、宇都宮地裁。いまから約13年前に発生した栃木小一女児殺害事件で逮捕された勝又拓哉被告に無期懲役の判決が言い渡された。
事件を簡単に振り返っておくと、事件が発生したのは、2005年12月1日午後2時50分頃のこと。当時小学校一年生の吉田有希ちゃんが下校途中に何者かによって連れ去られ、翌2日午後2時、現場から65キロ離れた茨城県常陸大宮市の山林の中で遺体となって発見された。
事件発生から、8年以上の年月を経て、逮捕されたのが台湾出身の勝又被告だった。
警察は事件発生後から勝又被告をマークしたというが、有希ちゃんの遺体に残されていた犯人のものと疑っていたDNAが「捜査に関わる県警幹部のものである」ことが発覚したりと、この事件に関しては失態を繰り返していた。
勝又被告は母親と関わっていた偽ブランド品の販売による別件で逮捕されていて、取り調べの中で、本件への関わりを自供したという。
冤罪が確定した袴田事件、足利事件や東電OL殺人事件など、多くの冤罪を生み出す温床となったのは、違う罪で逮捕し、警察に拘留して本件の取り調べを進めるという別件逮捕である。いわば苦し紛れの一手が今回のケースでも使われていた。
果たして、一審において有罪判決が下された勝又被告は真犯人なのか、逮捕直後から私は勝又被告は無実であると主張し続けてきた。有罪判決が出た後もその様相は変わっておらず、むしろ彼の冤罪を裏付けるような証拠が弁護側から出され続けている。
2018年2月には、勝又被告、捜査関係者ら80人のものとは一致しないDNA型が発見されたという。この事実は、真犯人の存在を匂わせている。
一方の検察側は控訴審に入ってから、殺害場所について、従来の山林だけではなく、栃木県や茨城県の周辺という極めて曖昧な訴因変更をした。その動きは、検察が殺害現場及び勝又被告が犯人であるということへの明確な裏付けがないことを物語っている。
そもそもこの事件で勝又被告を犯人とするには、不可解な点が数多くある。
まずは、吉田有希ちゃんの遺体が発見された、茨城県常陸大宮市の山林の状況である。2005年12月4日に被害者の遺体が発見されているが、警察は遺体発見現場において勝又被告が殺害したと発表していた。ところが、遺体は全身の血液がほぼ抜けた状態であり、遺体発見現場の斜面からはほとんど血痕は見つかっていない。
遺体の第一発見者にも関係者を通じて取材を試みると、遺体発見当時の状況が伝わってきた。2005年12月4日、野鳥捕獲の為に山林を訪れた目撃者は、斜面に白い蝋人形のようなものを見つけた。何かと思い近づいてみると、それが被害者の遺体であった。
遺体は真っ白だったという。その証言は、有希ちゃんは別の場所で殺害されて、血液が抜かれたうえたで遺棄されたということを裏付けている。
殺害現場に置かれた献花台(筆者撮影)
次に、事件を立証する直接の証拠が何一つ見つかっていない点である。
逮捕後勝又被告は、警察での取り調べにおいて、凶器を遺棄した場所について言及したという。その証言をもとに警察は凶器のナイフを見つけるために大規模な捜索したが、結局何も見つかっていない。取り調べ段階で勝又被告は、自白を強要され、証言そのもが証拠としての意味をなしていないことを物語っている。
控訴審は6月8日に結審し、注目の判決は8月3日に言い渡される。これ以上新たな冤罪被害者が生まれないことを願わずにはいられない。(取材・文◎八木澤高明)
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