7月6日、オウム真理教の教祖だった麻原彰晃をはじめ、幹部ら7人の死刑が執行された。
死刑執行の報を受け、地下鉄サリン事件が起きた95年の空気を強烈に思い出した。
連日、怒涛のオウム報道を続けたメディア。「高学歴」で「純粋」な若者がなぜあのような宗教に惹かれたのかについて語る識者たち。異様な修行の光景。物質主義や拝金主義といったものを鮮やかに否定する若き幹部たちの発言。
「ポア」や「サマナ」などの聞き慣れない言葉。当時バイトしていた商業施設で、仕事そっちのけでオウムを伝えるワイドショーに噛り付いていた社員たち。その分、仕事を押し付けられたバイトの私。
電車に乗っても誰もがオウムのことを興奮気味に話していた。20世紀の終わりを前にして、あちこちに、妙に高揚した終末感が漂っていた。
今から23年前。私は二十歳のフリーターで、リストカットばかりしていた。地下鉄サリン事件に戦慄しながらも、自分が「あっち側」でもおかしくない気がした。ちょっとしたボタンの掛け違いで、誰だって「あっち側」に行ってしまうのだと思った。
「神」と崇める絶対的な存在に指令を受けたら、なんだってやってしまうかもしれない。信じられるもの、やるべきこと、生きる意味と目的のすべてを持っているかのように見えたオウム信者たちを羨ましくさえ思った。使い捨ての労働力としてしか必要とされなかった当時の私は、そのすべてを持っていなかった。
そんな事件から、23年。
事件は風化し、私の中にあの頃あったオウムへのシンパシーはもう、ない。だけど、私は決してあの頃の気持ちを忘れたくはない。「なぜカルトに若者が惹かれたか」のひとつのヒントが過去の自分の中にあると思うからだ。そして今年1月、オウム裁判はすべて終結し、7人が処刑された。残る死刑囚は6人だ。
オウムとは、なんだったのか。私の中でいまだに答えは出ていない。一方で、周りを見渡せば、過去の私のように生きづらさを抱えた若者は多くいる。「死にたい」とSNSで呟いたことがきっかけで9人の若者の命が奪われた座間の事件。判で押したように「誰でもよかった」「死刑になりたい」と口にする無差別殺人事件の犯人。
23年前と比べて、より深まったとしか言えない社会の閉塞。そして現代の若者たちはバブル世代だった当時の信者たちとは違い、過酷な生存競争の中で日々、喘いでいる。剥き出しの市場原理は時に若者の心身を破壊し、命さえも奪う。「オウム的なもの」が入り込む「心の隙間」は、あの頃よりもずっと広がっている気がするのだ。
先の見えない不透明な時代だからこそ、「こうすれば幸せになれる」という回答がほしい。そんな思いにつけ込むものが宗教だけとは限らない。
私の中で、やっぱり「事件」は終わっていないのだ。(文◎雨宮処凛)
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