200人を超える報道陣の前でオウム真理教幹部・村井秀夫を刺殺した徐裕行氏と会って

2018年07月06日 オウム真理教 サリン 刺殺 徐裕行 村井秀夫 死刑執行

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001.jpg教団があった場所は現在は売りに出され...

その生々しい映像は何度も何度も放送された


 人混みの中で、二人の男がぶつかった。周囲の誰かが怒鳴りつけ、彼らをすぐに引き離す。体をぶつけられた方の男は、怪訝な表情で自らの左腕を気にしている。そこまではあたかも、満員電車で乗客同士がぶつかった程度の、日常的なトラブルにすら見えた。しかし次の瞬間、左腕を見つめていた男の体が崩れ、地面へと倒れこんでしまう。彼の名は、村井秀夫。オウム真理教幹部であり、教団内の科学技術省大臣を勤めていた。そして村井の左腕を刃物で切りつけ、さらに右脇腹に13cmの深さまで刃を刺しこんだ男が、徐裕行である。

 1995年4月23日。地下鉄サリン事件から一ヶ月が過ぎ、もはや日本中の誰もが黒幕はオウム真理教だろうと確信していた。教団側は必死に否定し続けるが、緊張の度合いは日増しに強まり、いつ何が起こるか分からない。南青山のオウム東京総本部(通称マハーポーシャビル)前には、200人もの報道関係者が常駐で待機していた。彼らがカメラを構え、ライブ中継しているその眼前で、一瞬の凶行が繰り広げられたのである。その生々しい映像はニュース番組やワイドショーで何度も放映されたが、さすがに悲惨だということで数日後には自主規制がかかる。

 村井が刺された1時間後には、教団の広報を勤める上祐史浩が病院前で会見。「あなた達は、マスコミの報道で、犯人にまでなっていない人間を、起訴もされていないし逮捕もされていない人間を犯人と決めつけ、そして国民の感情を煽り、そしてそういう結果、いらぬ敵意を抱く暴漢を作り出し、そしてこういう結果に陥ったんじゃないのか!」「麻原を殺す気ですか今度は!」と報道陣をなじる一幕を見せたのも話題となった。

 明けて24日の午前2時30分、村井の死亡が確認された。大量の輸血も間に合わないほどの出血性ショックが死因であった。そして5月16日、麻原彰晃ら教団幹部の一斉逮捕。サリン事件を含む裁判が行われていったのだが、教団内で科学技術を担当していた村井の死が、真相究明に大きな影を落としたのは間違いない。
 

第一印象として感じたのは「穏やかさ」「物腰の低さ」


 2012年の夏、私は徐裕行のブログをまとめて読んでいった。メインで書かれているのは、北朝鮮拉致問題への解決を訴える文章だ。徐本人も言及しているように、これには在日朝鮮人3世であり、総連系(北朝鮮系)の朝鮮学校に通っていた出自も関係している。その他には、趣味のヨットレースや、時事ニュースへの意見、日々の雑記といったような記事も散見された。いずれにせよ、事情を知らない人間が読んだなら、このアメーバブログ管理人が村井刺殺事件の犯人であり、12年の懲役から戻ってきた人物だとは気付かないだろう。私は全記事に一通り目を通した後、ブログのメッセージ欄を開き、インタビューを依頼する旨の文章を書き連ねていった。

 その半年前の2011年大晦日、オウム事件実行犯の一人である平田信が、丸の内警察署に出頭していた。続いて翌年6月、最後の逃亡犯である高橋克也が大田区にて逮捕。オウム事件全体における一つの区切りがついたタイミングだったとも考えられる。私はその前後で、BLACKザ・タブー誌面にて、新団体「ひかりの輪」代表となっていた上祐史浩への雑誌インタビューを担当した。さらに元オウムとは別の人間にも話を聞こうということで、徐裕行の名前が挙がったという次第である。

 彼へのコンタクトは、ブログを経由する以外に連絡手段がなかった。アメブロのポップなメッセージ欄には不釣り合いな堅苦しい依頼文を送る。しばらくして、徐から一言「結構ですよ」との答えが返ってきた。幾つかのやりとりの後、喫茶店の会議室にてインタビューを行うこととなった。当日訪れた会議室は、やけに薄暗く古ぼけており、長年にわたって染み着いた煙草の臭いが空気をべたつかせていた。そして約束の時間となり、徐裕行を迎えにゆく。

 彼に会った際、第一印象として感じたのは「穏やかさ」「物腰の低さ」だった。ただしそれは大人しい文化系の若者と同じような雰囲気ではない。例えるなら剣道の試合のごとく、しっかり相手との間合いをとっているような意識が察せられた。悪印象を受けた訳ではないが、緊張で自分の胸がキュッと縮むのが分かった。久田将義氏は著書『生身の暴力論』で「殺人者が自身の殺人行為を語る時、眠そうな目をすることが多い」といった旨を記している。しかし私が徐の瞳に見たのは、あくまで「冷静」な眼差しだった。


徐自身が"ある種"の心情をわざわざ吐露した


 徐へのインタビューではやはり、オウム事件、北朝鮮拉致事件についての見解を聞くこととなった。後者について徐は、北朝鮮政府はもとより、周囲の在日朝鮮人についても、その問題意識の低さに批判的な意見を述べていた。彼は青年期には総連系の活動も行っていたが、「ちょっとおかしいなという気持ち」から離脱。以降はむしろ右派寄りの活動を行っていったようだ。彼の思想の変遷について、取材不足の私には断定できる材料はない。ただし政治的立場はともかく、彼の心情は「身内」と「外部」を分けるタイプであるのは間違いないように思える。

 インタビューにおける主眼は言うまでもなく、村井刺殺についての動機を語ってもらうところにあった。徐は「今になって言葉に表せというのは非常に難しい」「皆さんにも分からないかと思う」としつつ、その理由を「許せないから」との言葉にまとめた。

「僕は家族愛というか、両親や兄弟親族への愛情が強い方なんです。家族関係のように愛情で結ばれている人たちが、第三者の犯罪行為によって強制的に離間させられることに対して強い憤りがあるんです。拉致事件でも同じことが言えますが、家族を無理やり引き離すようなことが許せない。そういうことに対する怒りは、サリン事件の時は非常に強かったですね」

 一時期、村井刺殺事件はオウム教団内部による差し金ではないか、との話が飛び交った。科学技術省大臣としてサリン事件の秘密を握る村井の口封じをはかったのでは、という言説だ。もちろんこれについては、徐裕行とオウムの双方が否定。一斉逮捕後、オウムを離れた上祐も「そういった事実はない」との立場をとっている。裁判でも立証されなかったし、徐と上祐の双方から話を聞いた私個人としても、さすがに考えすぎの陰謀論だろうとは思う。

 もちろん本稿は事の真相を追うのが趣旨ではないので、その是非については置いておこう。また、徐裕行が初対面の私に胸襟を開き、自身の精神をあますところなく開示してくれたとも思えない。ただいずれにせよ、徐自身が上記の通り「身内」と「外部」を分ける心情をわざわざ吐露していることには注目したい。この心性は「左翼」よりも「右翼」寄りのタイプであることは間違いないだろう。

 オウムにまつわる議論について、あの教団が「右翼か左翼か」を問う行為はあまり為されていないように見受けられる。それよりもまずオカルティックな秘密宗教団体の側面が先行するからだろう。とはいえ、いちおうオカルト研究を業とする私から言えば、オカルトという思想の中にも矛盾せず存在する別レイヤーとして「右翼」「左翼」の傾向は確かにある。80~90年代の一部の若者に訴求されたオウム真理教は、ニューエイジ、欧米経由で「再発見」されたヨガと原始仏教を宗教的出発点としており、思想としては左寄りだったと言えるだろう。

 非常に乱暴な括りとなってしまうが、人間関係の好みだけを注目すると、右翼は「身内」と「外部」を分け、左翼は「ワン・ワールド」にまとめたがる。そしてオウム幹部たちの理屈に立脚すれば、サリン事件含め人類全体の魂上昇を試みる「ポア」とは、根本的には20世紀共産主義の「世界革命」の発想と似通っている。徐がオウムに対して殺意へ至るまでの「許せなさ」を抱いたのは、双方の根本的な精神性に相容れなさを覚えたせいもあっただろう。


人を殺すか、殺さないかは、紙一重

 
 徐はまた、インタビュー中でこんなことも述べている。

 マスコミがあれ程までにオウムがやったんだという"絶対悪"としての大量の報道をしていなかったら? というのも一つの要因でしょう。例えばそういう報道が流れ、巷では酒を飲みながらTVを見ながら「あいつら許せんな」「死んでしまえばいい」と......当然、僕もそういう会話をしたし聞いたりしましたよ。そこで行動するしないというのは、本当に紙一重。なんらかのキッカケがあれば、誰でもそういうことになりうる。世の中の人たちがそうなりうる事件だったと思います。

 村井が運ばれた病院前にて、激昂した上祐が言い放った言葉と、奇しくも似た内容を語っているではないか。さすがに現在の二人とも、村井刺殺事件の責任を「マスコミにある」と転嫁したい訳ではないだろう。しかしこれは双方が真逆の立場ながらも、自分たちはマスコミという現体制に対抗する「反体制」なのだという心情吐露であるように、私には感じられた。

 徐裕行がオウム幹部・村井秀夫を刺し殺したあの事件は、表舞台で繰り広げられる政党の左右対立とは全く別の地点で起きた、「右」vs「左」の結節点だったのである。

 村井の刺殺現場であるオウム東京総本部ビル。その建物は最近までずっと、南青山七丁目の交差点に忘れられたように佇んでいた。私は週に一度は目の前の通りを歩いていたので、視界の端に入るビルの様子をいつも気にかけていたものだった。入居しているテナントも存在していたが、ビル内には人の気配が感じられず、がらんとした空虚なハリボテが道沿いに置かれているようだった。正面のガラス窓にはいつも「テナント募集中」「FOR RENT」といった広告が何枚も張り出され続けており、罪のないビルオーナーには申し訳ないが、もはや何かの冗談のようにしか感じられなかった。そして事件からちょうど20年が経った2015年4月、そのビルは取り壊された。敷地は今のところ、歯抜けのような空き地となったままである。

 この記事を書くにあたって、私は5年ぶりに徐裕行のブログにアクセスした。するとそこに、一つの奇妙な偶然が待ちかまえていた。徐のブログもまた、2015年4月の記事からずっと更新が途絶えていたのだ。私のインタビューの最後にも、ブログから拉致問題解決の署名を訴えていたほど精力的に活動していたのだが......。彼が刃を手にして村井に向かっていったビルが解体されたのと全く同じタイミングで、そのブログもまた終わっていたのである。(敬称略 取材・文◎吉田悠軌 『BLACKザ・タブーVOL.6』より加筆・修正)

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