オウム真理教の後継団体であるアレフや光の輪の信者数は1650人(2017年) そして資産は増え続けている
聖地となることが懸念されている小菅刑務所(撮影筆者)
1994年松本サリン事件、翌年には地下鉄サリン事件と、連続テロ行為を行うなど、国内を未曾有の混乱に陥れたオウム真理教。教祖である麻原彰晃こと松本智津夫ら7人の死刑が執行された。これにより、日本を揺るがせた大事件はひとつの節目を迎えたというのが、新聞やテレビの論調である。
一方で、オウム真理教の後継団体であるアレフや光の輪の信者数は2017年現在、1650人。2014年と比べて横ばいであるものの、資産数は右肩上がりで増え続けていて、2018年5月現在、11億2千万円と2014年の1.5倍となっている。後継団体の勢力は、弱まっているどころか、影響力を強めているのである。
しかも、麻原彰晃の生誕祭を行うなど、麻原の神格化をすすめている。さらにアレフの信者の中には、聖地巡礼と称して、麻原が収監されていた小菅を訪ねるなど、麻原を信奉する思いは、衰えるところを知らない。
今から、20年近く前になるが、ロシアのオウム信者が、麻原奪還のテロを画策して、ロシアで逮捕されるなど、小菅から麻原を奪還する動きがあった。今回の死刑により、麻原奪還テロが起きる心配は無くなったが、小菅の露と消えたことにより、オウム信者たちが小菅をますます聖地として崇めるのは間違いないだろう。彼らにとって、小菅はキリストが磔にされたゴルゴタの丘と同じ意味合いを持つことになる。
オウムはなぜ、若者たちに支持されたのか
麻原がオウム真理教へと拡大するオウムの会を発足させたのは、1984年のことである。日本は空前のバブル景気へと向かう前夜ともいうべき時代のことだった。
1960年代から70年代にかけては、学生運動が若者たちの精神的な支柱として機能したが、政治の季節が終わると、若者たちの支柱は、端的に言ってしまえば、モノと金しかなかった。その潮流に違和感を覚えるものや、社会の片隅にいる者たちの思いを既存の宗教は代弁することができなかった。日本の若者たちは、持たざる者ではなく、持つ者ゆえの悩みを抱えることとなった。
その時代に、仙人のように姿を現したのが麻原彰晃だった。麻原はダライ・ラマとの面会や空中浮揚ができるといった触れ込み、ビートたけしが司会をしている番組に登場したりと、世間の耳目を集めはじめていた。麻原のメディア戦略も功を奏し、オウム真理教は一万人以上の信者を獲得するにいたる。それと同時に、ひとたび信者になれば、脱会を認めないことが、社会問題となっていった。
1989年には脱会を希望する信者の救済に動いていた坂本堤弁護士一家殺害事件を起こすなど、狂気の側面が顔をのぞかせはじめる。1992年、衆議院選挙に麻原をはじめ24人が立候補するが、すべて落選すると、麻原は非合法な手段、つまり武力に訴えることを決断する。自分たちの理想とする王国の建設を進めるには、合法的な手段では無理だと考え、テロへと突っ走ったのだ。
オウム真理教の教義はヒンドゥー教をベースにしたもので、その信仰は、特別なものではない。今もインドやネパール、タイなどでは普通に見られる信仰で、教義のベースは極めて普遍的である。ただ、その修行と称した行いにLSDなどの薬物や、電気ショックなどを利用し、洗脳することによって、金銭を巻き上げたことが、いかがわしさを生んだ。
オウム真理教が信者を増やしたのは、宗教に関する話題がタブーであるという日本の土壌も関係がある。宗教に関する話題は学校であれ、家庭であれほとんど、無いといっていい。宗教に対する無垢さが、オウム真理教など新興宗教に無自覚に染まってしまう理由の一端である。日本の社会状況が変わらない限り、オウムは消えることはなく、麻原は信奉され続ける。
オウム真理教そして、アレフや光の輪といった団体は、紛れもなく日本社会が生み出しているものなのだ。(写真・文◎八木澤高明)
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