オタクは規制、芸術はOK...ろくでなし子事件で「自称フェミ」がトンデモ大暴論

2014年07月23日 ろくでなし子 オタク 児童ポルノ禁止法 北原みのり 芸術

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rokudenashiko.jpgPhoto by デコまん アソコ整形漫画家が奇妙なアートを作った理由

 

 自身の女性器の3Dプリンター用データを、クラウドファンディングの協力者に配布したとして"わいせつ電磁的記録媒体頒布罪"の容疑で逮捕されたろくでなし子氏(芸術家・漫画家) が、7月18日に東京地裁が準抗告を認めた事により釈放された。

 この一件は、当初から 「逮捕の妥当性」 について賛否両論があり、どちらかというと 「逮捕の必要はなかったのではないか?」 という意見の方に偏っていたように思う。この辺りは先日アップした記事(『ろくでなし子逮捕は新技術に対する威嚇か? 女性器3Dデータ配布騒動』)に書いてあるので省くが、一連の流れの中でどうにも余計な言動をしてくれた輩がいた。 今回取り上げるのはその"いかがなものか的な人物"である。

 さて、ろくでなし子氏は漫画家・芸術家としても活動しているが、他にも女性用のアダルトグッズショップ『ラブピースクラブ』のスタッフとしての一面も持っていた。このラブピースクラブの経営者が北原みのり氏で、北原氏はろくでなし子逮捕の一報が流れるのと同時に、彼女の逮捕を不当であるとして運動を開始した。

 ところが、この北原みのりという人物については、つい先日記事(『偏向してでも日本を「ロリコン大国」にしたいAERAと北原みのり氏のトンデモ記事』)をアップしたばかりだが、こんな思想を持った御仁である。

 このように極端過ぎる、フェミ界隈からも批判を集める事の多い炎上商法の代名詞のような人物だけに、今回の騒動でも他に先駆けてあまりにも邪魔過ぎる暴論をあちこちでぶちまけていた。例えばこんなコラム。

『ろくでなし子さんの逮捕に思うこと。』

(http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/minori/2014/07/15/entry_005228.html)

 ここでは北原氏はやたらと 「女性器が猥褻とされている!」 と主張しているが、それは男性器も同様である。もし男性器をノーモザイクで映せるのに女性器にはモザイクが必要となったら北原氏の主張にも聞く価値が生じるが、実際はそうではない。この時点でこの人物の言っている事は意味が解らない。続いてAFP通信のこんな記事。

『女性器アーティスト逮捕に抗議の声』(http://www.afpbb.com/articles/-/3020722)

「作家の北原みのり(Minori Kitahara)氏は、警察が五十嵐容疑者の事務所を家宅捜索して同容疑者の作品20点を押収したと明らかにするとともに、日本は男性の性的関心には過度に寛容である一方、女性の性的関心の表現はいまだに抑圧されている社会だと指摘した。」

 上の文章の後に、今回の騒動とは全く関係ない児童ポルノの話題にすり替わっている点を見ても、この記事の著者や北原みのり氏が何を画策しているのか手に取るように解るだろう。ろくでなし子氏を助ける事よりも、彼女の逮捕を幸いと自分のアピールの場に使っているかのようで反吐が出る。

 そもそも、北原氏の言う「日本は男性の性的関心に過度に寛容で、女性の性的関心の表現は抑圧されている」という点が大嘘だ。

 確かにビジネスとしては男性用のエロ作品・商品の方が早く世の中に出回ったかもしれないが、今となっては男性向けエロマンガもレディースコミックも、等しく「過度な性的表現は抑圧されている」という現実がある。男性器も女性器も等しくモザイクの向こう側に追いやられているのと全く同じ事だ。それが見えていないのは北原界隈だけである。

 ちなみに、どうして男性向けのエロ作品・グッズの方が目立つかといえば、単に男性と女性の解消の方法が違うからではないだろうか? 男は女に比べると非常にシンプルで、AV・マンガ・アニメ・ゲームなど、適当なオカズ(場合によっては妄想含む)で性器を弄って射精に至れば、それだけでスッキリさっぱり賢者タイムになれる。それと比較すると、女性はもう少しややこしく、個々の好みの差が激しいため、大きなビジネス展開(商品化)がしづらい。抑圧されているから出て来ないのではなく、商品展開が難しいから絶対数が少なく見えるのだ。

 肉体への刺激という点でも、男性が相手ならばTENGAでも与えておけばよかろうという話になるが、女性にはTENGAと同レベルの鉄板商品は今のところない。だからこそ、過去に様々なエロメディアの先達が「女性向けのエロ商品を!」と息巻いてみたものの、どれもこれもイマイチな成果に終わっているのである。

 この辺りの事情など、女性用アダルトグッズで商売している北原氏自身が誰よりも解っているはずではないか? 女性用のアダルトグッズや表現物に、男性向けのそれと同等に売れる鉄板商品が存在するだろうか? もししないとしたら、その理由はなんだろう? 女性の性だけが抑圧されているからか? 本当に女性の性が抑圧されているならば、北原氏のやっている女性用アダルトグッズ販売なんて商売自体が許されるはずないだろう。その辺の話をすっとぼけて、自分勝手な主義主張にすり替えるのはいい加減にしていただきたい。

 さて、ろくでなし子氏の逮捕騒動に戻るが、彼女の逮捕を巡ってはフェミ・ジェンダー界隈の他に、児ポ法反対派を含む様々な"表現規制反対派"から応援と抗議の声が挙がった。 児ポ法改正案の騒動がつい先日の話だった事もあり、Twitterなどではむしろ児ポ反対派から大きな抗議の声が挙がったほどである。

 児ポ法を巡っては、先に挙げた北原みのり氏とAERAを批判する記事にあるように、"フェミ北原派"から話の根本を理解しようともしない口汚い罵声を浴びせかけられ、悪質なデマによって何度も印象操作を重ねられたが、ろくでなし子氏の件については別問題と、まさに大同団結の流れすらあったのだ。

 ところが、その矢先に北原氏が(ろくでなし子氏自身は何も語ってないのに)あちこちで「芸術だからろくでなし子逮捕は不当、女性の性表現は守られるべき!」「でもオタクやロリはキモイから締め付けて当然」とぶちまけた。これでは「マンガもアニメもゲームもろくでなし子の性表現も表現の自由として同等に守られるべき」という当たり前の声を挙げる人間は心が折れるし、もはやろくでなし子氏の事すら置いてきぼりになってしまう。

 これは北原一派が全く理解していない点なのだが、そもそもマンガ等の表現において弾圧の動きと血みどろの戦いを繰り広げて来たのは男性側であり、また表現規制全般で見てみれば槍玉に挙げられたのはエロ表現ばかりではない。

 例えば1950年代の悪書追放運動では、"PTAや女性団体"が中心となり、鉄腕アトムですら子供に悪影響を与えるとして焚書の憂き目にあっている。その後70年代の永井豪らに対する「ハレンチマンガ批判」を経て、1989年に起きた宮崎勤事件をキッカケとしてロリ描写の拡大解釈が起こり、過去に例を見ないほどの"表現狩り"が行われた。 ここで有害コミックという概念が生まれ、現在の青環法や児ポ法へと流れて行く。

 またこうした有害コミック排除の流れは、すぐさまコンピューターゲームにも波及し、フェアリーテール(ゲームメーカー)の摘発を機にソフ倫(※コンピュータソフトウェア倫理機構)の設立へと繋がった。

 このような規制と摘発が当たり前とされる中で、様々な先輩方が身体を張って表現の自由を守り、なんとか今のエロ表現が維持されたのである。

 北原氏は「男の性表現にだけ寛容すぎる」と鼻息荒く仰られるが、こんな焚書の歴史のどこが寛容だと言うのだろうか? 北原氏が今あのように暴論をぶちまけ、女性のエロをテーマに活動していられるのも、こうした先輩達が守り抜いた土壌の上に立っているからなのだ。そもそも、過去に自身と同じ女性達が声を挙げた結果「鉄腕アトムすら焚書された」という事実をどう思うだろうか?

 児ポ法に反対し、今回のろくでなし子氏の逮捕にも抗議の声を挙げた人間の中には、70年代の悪書追放運動の頃から戦っている大先輩もいる。そうした方々は、北原氏らの暴言を耳にしても表現の自由を守る事だけを考えて大同団結すらあり得るという方向性を示してくれたのだ。

 いい加減に 「○○は芸術だから守られるべきだが、××は気持ち悪いから規制しましょう」なんて何周遅れかも解らない幼稚な言動は通用しないと気付いて欲しい。本当に表現の自由を守ろうとするのであれば「ひとまずあらゆる表現を認めましょう」という方向性しか有り得ない。その先の犯罪性や犠牲者がどうこうの話は別の責任問題とすべきで、オカミが都合よく「許される表現、許されない表現」を決定し、法で縛り付けるようなマネを許すべきではない。

 それにしても、今まで散々「オタクやロリは気持ち悪い! じゃんじゃん規制すべき!」と言っていた人間が、いざ自分の身内が逮捕された途端に「不当だ! 芸術だ!」と騒ぎ出す様は、直視できない醜悪さだった。本音を言えば「ざまあみろ! 同じ立場になった気分はどうだ?」の一言で済ませたい気持ちもなくはないが、それをやっては表現規制推進派の思惑に乗る事になる。規制推進派の思惑とは、様々な立場に分かれている規制反対派の "分断"である。

 過去の歴史をすべて水に流して【vs表現規制】という共通の目的のために団結する事が一番の理想なのだが、北原一派のような周回遅れの身勝手な連中が騒ぎ立てると、どうしたって大きな運動にはなり得ない。これまでの流れのように各個撃破されてオカミに都合よく話が進んでしまう可能性が高いのだ。

 しかしながら、この北原氏のような"困ったちゃん"ですらも背負い、表現の自由を守る戦いを続ける事こそが正道である。悲しい事に、表現の自由の中には"北原ロジック"すらも含まれているのだ。真に表現の自由を守りたいと考えるならば、彼女らを排除しようなどと考えてはならない。批判はされて当然だが、排除とは即ち弾圧・差別である。

 表現の自由を守る戦いとは、それほど困難だという事を解らせてくれた点だけは、北原氏に感謝しようと思う。

Written by 荒井禎雄

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