表現の自由は憲法で保証されており、人が文化的営みを行う上で、最も大切しなければならない人類の財産です。表現の自由とは人類が勝ち取った尊いものですが中身は決してキレイではありません。むしろ冷酷な性格を帯びています。
それは「何を表現していも良い、何を言っても書いても良い。その代わり何を反論されてもいい」ということ。そして、もしかしたら反論以上の行為がしっぺ返しとして来るかも知れない。それも反論権の自由(言論の自由)・表現の自由だからです。それを覚悟して表現・執筆をすべきである、という点です。
そして、近年は、表現の自由に甘えた、行きすぎた言動、例えばヘイトスピーチや差別発言は名誉棄損などで罰せらるようになってきました。これも人類の進歩の一つです。
映画『君の名は』の「前前前世」で一躍、全国区になったRADWIMPSが「HINOMARU」という歌を出しました。その歌詞が愛国的、戦時中を思い起こされるという理由で批判を受けています。「傷つけた人たち、すみませんでした」という意味不明な理由で謝罪しています。それと、「自分らは右も左もない」と注釈付きでした。「傷つけた」とありますが、誰が傷ついたのでしょうか。
僕も「HINOMARU」を聞いたのですが、右翼が使用しそうな単語を羅列すれば、安い愛国ソング一丁あがりなのだなあという感想でした。君が代を自分たちなりにアレンジしたような、「薄い歌」。今度、民族派の重鎮にこの歌詞を聞いてもらおうと思いますが、僕の印象は「あまり深く考えていないが『愛国者』という自分に酔っている歌」です。それに対して、誰が傷つくんですかね。
歌詞は例えば、カラオケで歌えと言えば「罰ゲーム」ではないかと思うくらい、恥ずかしさを感じるものでした。
とは言え、とは言えです。
それほどバッシングされるものでしょうか。不愉快なら聴かなければいいだけの事。もちろん、これが、在特会系のように特定の民族・国を指しての歌詞だったら、アウトです。聴かなければいい、では済まされません。
しかし「愛国」という言葉に自己陶酔したミュージシャンの歌詞なので、僕は聴かなければいい、ダウンロードしなければいいと思います。
歌だけでなく、本も映画も戦争賛美までいかなくても肯定しているのでは? という「表現の自由の賜物」は散見されます。個人の解釈によりますが例えば「永遠のゼロ」は、そのように僕は見ています。作者の百田尚樹さんの言動を加味しているからです。この作品を書くのは、彼自身の表現の自由の行使ですが、それに対する批判という表現の自由・言論の自由の行使によるしっぺ返しもあり得る訳です。
多分、「HINOMARU」のようなこういった自己陶酔型愛国ソングは今後も出てくるでしょうが、差別やヘイトでなければ、聴かなければいいと思います。
因みに右翼の忘年会の二次会のカラオケ大会は90%軍歌でした。僕の番になったらどうしようかとドキドキしていました。長渕剛の「マイセルフ」を歌っている人がいたので、「あ、長渕剛を歌えばいいんだ」と必死になって長渕ソングをデンモクで探していましたが、幸いにもマイクは回ってきませんでした。
でも今後、「HINOMARU」が歌われる可能性はあるでしょうね。(文◎久田将義)
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