Jリーグ・ジュビロ磐田で泥沼のゴタゴタ人事...「岡ちゃん派閥」が元凶か?

2014年01月15日 Jリーグ サッカー ジュビロ磐田 岡田武史

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 なんとなく、靄がかかったまますっきりしない。Jリーグ発足以来、初めてJ2に転落した「ジュビロ磐田」のフロント人事である。

 昨年末、元日本代表の加藤久氏がゼネラルマネージャー(GM)に就き、元大分トリニータ監督のペリクレス・シャムスカ氏(48)が指揮を執る新体制が発表され、"絶対に1年でJ1に戻れるようにする"とのチーム関係者のコメントがスポーツ紙に載ったが、「磐田は、わざわざ同じ過ちを繰り返そうというのでしょうか」。

 サッカー協会関係者の間で、こんな声が燻り続けている。

 どういうことかといえば、「"早稲田ライン"への不満ですね。偶然にも関塚隆前監督(53)も早大出ですが、ロンドン五輪で日本男子を率いた手腕を持ってしても、昨季開幕から低迷したチームを立て直すことはできなかった。わずか半年で退任です。そして関塚氏の"次"のために磐田フロントが秘かに動いて相談を持ちかけていたのが、前回ワールドカップの代表監督の"岡ちゃん"こと岡田武史さんでした。岡田さんはW杯後、日本サッカー協会理事の椅子を蹴って中国へ渡り、日本人初のプロサッカーリーグ監督となっていた。でも昨秋にチームを去ることになったので、磐田は岡田さんに触手を伸ばした。けれども、断られました。で、誰かいないかと岡田さんに頼み、推薦してもらったのが加藤さんだったのです」(サッカー協会関係者)

 岡田氏は昭和55年、加藤氏は54年に早大卒。ともに57歳だ。

「そんな早稲田ラインで加藤さんがGMとなったあと、シャムスカ監督が決まった。この流れが"同じ過ち"だというのです。というのも、加藤さんは2007年、当時J2だった京都サンガの実質的なGMとなる取締役となりました。この時にも、京都のフロントが強化方針を巡るフロントとの確執で横浜マリノスを離れていた岡田さんに声をかけたのですが、岡田さんは固辞。その岡田さんの推薦で加藤さんがGMとなったという経緯があります。でも加藤さんは、京都を1年目にJ1へ昇格させたものの、4年という長期政権だったにもかかわらず、まったく結果を出せずに解任されました」(同)

 選手として長らく日本サッカー界を牽引してきた加藤氏は、引退後、ヴェルディ川崎や京都などの監督を歴任した。しかし加藤氏が去ったあとは、両チームともJ2の常連となっている。

 Jリーグ関係者によれば、「この不満を持つ向きには、もう一つ理由がありましてね。実は、チーム関係者やサポーター、現役選手の間で、日本代表で活躍した磐田OB・名波浩さんの監督就任を望む声が多かったんです」(同)

 しかし、加藤―シャムスカ体制に決まり、名波氏のメはほぼなくなったという。

「1998年W杯で活躍した井原正巳、山口素弘、相馬直樹といった面々が指導者としてのキャリアをスタートさせていますし、サッカー界では"名波も41歳だし、そろそろ......"と言われていましたから。彼は解説者をやりながら指導者としての知識をかなり積み上げてきた上、現役選手たちからも兄貴分として慕われている。手放しで"名波待望論"に期待するわけではありませんけれども、心機一転、J2落ちしたチームの再建に白羽の矢を立てるなら、名波さんに任せてみてもよかったんじゃないでしょうか。また、フロントが彼にヘッドコーチ就任を持ちかけたなんて報道もありました。でも実際はうやむやになっているようです。本人も、きちんとした打診があれば受ける意向だったとも聞こえていたんですけどね」(同)

 "昔の名前"の早稲田ラインではなく、新しい血を入れればよかった――。こんな声が、3月のJ2開幕後、すぐに高まらないとも限らないのである。

Written by 広鷹希

Photo by 岡田武史監督と考えた「スポーツと感性」

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