Photo by 今をブレない。井岡一翔
井岡一翔が日本人最速となる三階級制覇を目指してIBF世界フライ級王者のアムナット・ルエンロン(タイ)に挑戦した一戦。結果は判定2-1で惜しくも敗れましたが実際の実力差は大きな違いがありました。
目を引くのがチャンピオンのアムナット選手の数奇な生い立ちでしょう。出産直後に母親に捨てられ、養子になるも外見がアフリカ人のようだとのことで役所がタイ人と認めずIDが発行されないまま育つ(このあたりがタイっぽいです)。その後15歳で生みの親が現れたことでようやくタイ人のIDが発行されます。
学校に通うこともできず無教養で育ったアムナット選手は、タイの国技であるキックボクシング、ムエタイで生計を立てるようになります。その才能を開花させて、ムエタイのメジャータイトルであるルンピニーのチャンピオンにもなりました。ルンピニーのチャンピオンになるということは軽量級では世界最強と言っていいと思います。
ところが......! なんとアムナット選手は麻薬に溺れ、ジムを追い出されてしまいます。その後は強盗、窃盗で生計を立てる毎日。地元警察からもマークされていたそうで、女性への強盗で逮捕されてしまいます。そして懲役15年。
しかし、人生とは奇妙なもので、その後、刑務所で暇つぶしのために始めたボクシングでは持ち前の地力でアマチュア大会優勝。その成果が評価されて、国王誕生日に特赦を受けて釈放されました。出所後はアマチュア大会で井岡選手にも勝利し、北京オリンピックベスト8などの戦績を残し、プロ転向後は無敗のままタイ人史上最高齢での世界タイトルを獲得。
漫画のような人生ですね......。
タイ人ボクサーはベタ足でガッチリとガードを固めるスタイルが多いんですが、アムナット選手は時には両手をぶらりと下げたノーガードスタイル。しかもリーチが長い! 身長とリーチが同じくらいが標準的と言われますが、井岡選手が身長165.2センチでリーチは168.2センチ。アムナット選手は身長163.6センチでリーチは177.2センチもあります。
その長いリーチを活かして離れた距離から強打を打ち込む。井岡選手が中に入ってパンチを出すとスウェイでかわす(スウェイとは身体を反らしてパンチを避ける防御技術です)。
ムエタイではボディへのミドルキックをスウェイでよける技術もあります。手よりも長い足での攻撃をスウェイで相手の攻撃を躱す事ができるアムナット選手にとってスウェイはお手の物。井岡選手のパンチもスウェイに阻まれてあと一歩届きませんでした。
接近戦でも相手の腕を押さえて攻撃を封じるクリンチを上手く使っていました。ムエタイでは、首相撲という接近戦で相手を掴んでコントロールする技術があります。肘打ちが認められるムエタイでは、首相撲の技術も試合に大きく影響します。首相撲で振り回されてるところに膝蹴りや肘打ちが飛んでくることもあります。そりゃ、必死で強くなりますよね。
振り回して相手をこかすことも大きなポイントになりますので、こかされないように体幹部やバランス感覚も磨かれます。アムナット選手はボクシングルールで異種格闘技戦をやっているような感じでしたね。
井岡選手とはキャリアの違いも出たように思います。ボクシング戦績こそ大差ありませんが、アムナット選手はムエタイ戦績は200戦にも及びます。ムエタイで培われた駆け引きの上手さが随所に見られました。三階級制覇のプレッシャーで固くなっていたのか、序盤のアムナット選手の強打を警戒してか井岡選手はいつもより硬い感じがしました。ガードを固めて愚直に前進を繰り返す井岡選手に対して、アムナット選手はのらりくらりと終始マイペースでした。
井岡選手にとってはアマチュア時代のリベンジマッチでしたが、リベンジならず。アムナット選手の上手さが際立った試合展開でした。幸い井岡選手はダメージも無さそうですし、今回の敗戦がさらなる成長を促進するでしょう。
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Written by 大野崇(プロキックボクサー、元K-1 JAPAN選手、トレーナー)