吉澤ひとみ、飲酒ひき逃げで逮捕! モー娘。黄金期からプラチナ期への橋渡し...その経歴を振り返る
元「モーニング娘。」でタレントの吉澤ひとみさんが起こした、飲酒ひき逃げ事件が日本中を震撼させました。
吉澤さんは、6日午前7時頃、酒を飲んだ状態で車を運転し、東中野駅横の交差点で赤信号を無視して進入。自転車で交差点を横断中の20代女性と接触し、そのまま現場から逃亡。15分後、自ら110番通報し現場に戻ったものの、アルコール検査で基準値の約4倍にあたる0.58ミリグラム検出されました。
当然ながら、SNS上には吉澤さんへの批判が殺到。「吉澤ひとみ」がTwitterトレンド1位になるなど、多数の怒りのコメントが寄せられました。あらゆる人が吉澤さんの人間性を叩いていますが、果たして吉澤ひとみとはどんな人物だったのでしょうか。これまでの経歴を簡潔に振り返りたいと思います。
1985年4月12日生まれの33歳。埼玉県入間郡出身で、遠い親戚には女子マラソンの高橋尚子選手や、ノーベル化学賞を受賞した白川英樹博士がいます。バレーボールの強豪中学に推薦で入学し、1年生でレギュラーを獲得。全国大会にベスト8に進出するなど、輝かしい成績を残します。
そんな吉澤さんに転機が訪れたのは2000年春のこと。当時人気絶頂だったモーニング娘。の4期メンバーとして、石川梨華、辻希美、加護亜依とともに加入しました。プロデューサーのつんく♂氏からは「天才的に可愛い」と評価されました。
同年5月、「ハッピーサマーウェディング」でCDのデビューをし、オリコン週間首位を獲得。「恋愛レボリューション21」「ザ☆ピ〜ス!」などでヒット曲を連発し、2001年には「Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~」で、センターに抜擢されます。ボーイッシュでクールなキャラクターで人気を博し、モーニング娘。のほか、プッチモニなどとしても活躍します。
2005年には、矢口真里のスキャンダルによる突然の脱退を受け、吉澤さんは4代目のリーダーに就任。しかし、その頃モーニング娘。の人気は下降線をたどっており、オリコン首位も取れなくなっていました。そこで吉澤さんは上限関係の厳しい体育会系の組織から、自主性を重んじ個性を活かしたグループへと変革。そして、2006年に「歩いてる」で3年半ぶりとなるオリコン週間首位を獲得します。
また、吉澤さんはモーニング娘。と並行し、ハロプロ所属のアイドルなど結成した女子フットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.(愛称:ガッタス)」のキャプテンに就任。吉澤さんは唯一のサッカー経験者としてチームを引っ張り、フットサルの普及に貢献。アイドルたちが真剣にフットサルに挑む姿は、当時大きな話題となりました。
2007年、吉澤さんはモーニング娘。から卒業。いわゆる黄金期からプラチナ期への橋渡しをしました。卒業後はソロ活動を開始し、舞台女優や音楽番組の司会などを務めました。また「FIFAクラブワールドカップ2007」の日本応援隊を担当するなど、サッカーやバレーボール、マラソンといったスポーツ関連の活動を精力的に行ってきました。
2015年には9歳年上のIT起業経営者と婚約。翌年1月には第一子となる男の子を出産し、公私共に充実した日々を送っていました。
一方、2007年に当時16歳だった吉澤さんの実の弟が交通事故で亡くなるという痛ましい事件が起きます。弟想いだった吉澤さんはショックを受け、スタッフとの会話もままならなかったとのこと。その後、埼玉県朝霞市で「交通安全親善大使」を務めるなど、交通安全のPRに務めてきました。
しかし2017年には、吉澤さん自身が車を運転中、直進してきた対向車と衝突事故を起こします。事件後、謝罪の弁をブログに掲載していたものの、今回の事件の抑止には繋がらなかったようです。
ハロプロやフットサルなどで名を馳せ、リーダーとしても同僚としても人望が厚かったという吉澤さん。そんな人でも、判断を誤ることがあると実感せずにはいられません。罪を犯した人に石を投げるだけことが正解とは限りません。罪を償って再起する未来を、粛々と応援したいと思います。(取材・文◎杏)
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