かつてお正月といえば、「ジャニーズ映画」という時代があった。こういった時期になると、ジャニーズの面々が「映画館で会おう!」というお馴染みのセリフで、CMにやたらと露出していたものだ。日本では欧米に比べて長らく映画業界が低迷していた時期もあり、間違いなくジャニーズが邦画を牽引していた。
制作は東宝と東映が担い、公開となったら劇場には連日長者の列。なにしろ並ぶは倒れるは事件や事故にもなるわで毎年、凄い状況だった。オレの地元の厚木でもそれは同じで朝から並ぶ客が多すぎて上映中止になることもあり、子供心に「やっぱりジャニーズってスゲェ」と刻み込まれていった。
ジャニーズ事務所が制作にまで頻繁に関わっていたのは80年代のことで、その後もSMAPの木村拓哉、中居正広は単独出演を続けていたが、2000年を越えるとその作品数は大きく減り、ジャニーズと映画の関わり方が変化していくことになる。そんな転機にキーパーソンとなったのが、嵐の二宮和也だろう。
オーディションに参加してまで出演を獲得したのが、正真正銘のハリウッド映画『硫黄島からの手紙』(2006年/クリント・イーストウッド監督/スティーヴン・スピルバーグ製作)だった。もちろんジャニーズでは初の快挙だ。共演者に渡辺謙、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童らの実力派俳優がたち並ぶ中で、イーストウッド監督直々に「類まれなる才能」と評価され、二宮のために脚本まで変えられたというエピソードまで残っている。また、当時のロサンゼルス・タイムズ紙が『硫黄島からの手紙』でハリウッドデビューした二宮を特集するなど、ベルリン国際映画祭と米国アカデミー賞のノミネート作品に恥じない注目度となった。
二宮の俳優としての実績度はジャニーズでは群を抜いている。国内ドラマでは木村や山下智久がよくクローズアップされるが、一般的な評価では嵐の二宮和也こそがジャニーズではトップの俳優である。それはジャニーズとはしがらみがなさそうな映画各賞の受賞歴からも見てとれる。二宮は日本放送映画藝術大賞の「優秀主演男優賞」をはじめ、主演男優賞、優秀助演男優賞、助演男優賞などなど既に20を超える賞を獲得している。これはベストジーニストで殿堂入りというアホなレベルの話ではなく、正当な評価によるものだろう。
最近ではKAT-TUNを脱退した赤西仁が強いアメリカ志向を見せているが、ジャニーズの後ろ盾があっても順調とは言い難い。現在公開中のハリウッド映画『47RONIN』(現在公開中)に出演しているが、膨大な制作費にも関わらず作品内容が酷評され、興行成績も大惨敗。そっちの話題が盛り上がり過ぎて残念ながら赤西個人の演技が評価されるまでには至っていない。
ジャニーズの海外挑戦は今に始まったことではない。フォーリーブスや郷ひろみ、田原俊彦に少年隊などは海の向こうに渡ってのパフォーマンス修行やステージ経験を幾度と重ねている。とくにエンターテイメントの本場アメリカでの活動にはジャニー喜多川さんも興味が強く、常に挑戦する姿勢を見せてきた。二宮の成功もジャニーさんのそうした一貫した姿勢の中から生まれたのだ。
ジャニーズ出身者で海外に渡り、最も成功した例は元持勲だろう。ジャニーズ時代は「ハイソサエティ」というフォーリーブスや田原俊彦のバックを担った本格的なフルバンドのメンバーで、芸能活動を行いながら大学を卒業して単身で渡米。ギターとピアノの弾き語りだけで全米を回り、30代でハワイへ移ってからは事業を起こし、年間数十億円を稼ぐ企業へと成長させている。
ワイキキを見渡せる高台の豪邸とビーチ近くのタワーマンションに最新型のベンツも複数台所有し、ワイキキとアラモアナに3店舗の店も持つ。日本の有数な企業主や芸能人がハワイに訪れる時のコーディネーターも手がけ、自らもアーティストとしてラジオ番組も持っている。僕とは20年来の付き合いである。ハワイに行く際には是非彼をご用命下さい。
※「ジャニーズ映画」とはグループやユニットが揃って出演し、そのうち一人または複数が主演を務めているもの。またジャニーズ事務所・ジャニー喜多川氏が制作などにクレジットされていることも定義と考える。
●たのきんスーパーヒットシリーズ(東宝映画)※たのきん3人が出演。
第1弾『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』(1981年2月11日公開)
第2弾『ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY』(1981年7月11日公開)
第3弾『グッドラックLOVE』(1981年12月20日公開)
第4弾『ハイティーン・ブギ』(1982年8月7日公開)
第5弾『ウィーン物語 ジェミニ・YとS』(1982年12月18日公開)
第6弾『嵐を呼ぶ男』(1983年8月4日公開)
『Love Forever』(1983年8月4日公開/東宝)
『エル・オー・ヴィ・愛・N・G』(1983年12月24日公開/東宝)
●シブがき隊
『ボーイズ & ガールズ』 (1982年7月10日公開/東映)
『ヘッドフォン・ララバイ』(1983年7月16日公開/東映)
『バロー・ギャングBC』(1985年4月27日公開/東映)
●少年隊
『あいつとララバイ』(1983年12月24日公開/東宝)
『19 ナインティーン』(1987年8月1日公開/東宝)
●SMAP
『シュート!』(1994年3月12日公開/松竹)
●V6
『サンダーバード』(2004年/ユニバーサルピクチャーズ ※日本語吹き替え版)
●嵐
『ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY』(2002年/ジェイ・ストーム)
『ピカ☆☆ンチ LIFE IS HARDだからHAPPY』(2004年/ジェイ・ストーム)
『黄色い涙』(2007年/ジェイ・ストーム)
「帰ってきたカルチャースタァ☆平本淳也」
Profile●ジャニーズ出身の実業家、作家、投資家。10歳でジャニーズ事務所から芸能界入り、30歳過ぎまでアイ ドルを続け、現在もテレビや雑誌で活躍を続けるなか、月間100万アクセスを獲るカリスマブロガーとしても知られる。22歳のときに物書きデビューして以 来、34冊の書籍を発表。http://ameblo.jp/junya-hiramoto/
Written by 平本淳也
Photo by 硫黄島からの手紙 (特製BOX付 初回限定版) [DVD]
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