SMAPが6人組だったということはすでに遠い過去のようだ。デビュー当時からのファンならご存知だろうが、メンバーは森且行(現オートレーサー)が揃ってのSMAPだった。最近の活躍ぶりからは想像もつかないが、SMAPは鳴かず飛ばずで解散の危機もあったくらいの低迷グループだった過去がある。
80年代後半から90年代前半にかけての光GENJIの大ブレイクで、ジャニーズ事務所そのものがそのポジションを確立し、それに続けとばかりにデビューしたSMAP。だが、彼らは思いのほかまったく売れず、当初は苦労に苦労を重ねていた。
世の中は光GENJIに飽きがきていて、バンドのブームとなっていた。歌番組が一気に減ったことで、テレビに露出する機会を失ったSMAPは深夜番組に活路を見出すしかない状況だった。ジャニー喜多川さんは「ユーたちはジャニーズのドリフになりなさい」とアドバイスし、SMAPはジャニーズでは初めて、コントで被り物姿を披露するアイドルとなったのだ。
後に中居正広は、「少年隊みたいになりたかったのに、なんで被りものしてコントしないといけないのか」と当時の葛藤を告白しているが、それと同時に現在があるのは「あの頃があったから」と当時の経験に感謝しているとも語っている。
歌って踊って、さらに面白いこともできるスーパーアイドル。そこに往年のエンターテイナー集団「ドリフターズ」を重ねたジャニーさんの狙いはずばり当たった。ジャニーズのアイドルが歌だけで活動していれば良い時代は終わっていた。そこにいち早く気付いたジャニーさんによって、かっこいいのに面白いジャニーズの時代が到来する。当然、SMAPはジャニーズファンの少女というより、お茶の間の人気を勝ち取っていった。
一方、リリースしたCDもデビューは辛うじて2位にランクするも11作連続で1位にはなれなかった。この遅咲き振りもジャニーズ事務所では異例だ。念願のチャート1位を獲得できたのは、通算12作目のシングル『Hey Hey おおきに毎度あり』。デビューから3年目の春だった。しかし、この直後にSMAPに激震が走る。当時、稲垣吾郎と人気ツートップを張っていた森且行がSMAP脱退の意向を明らかにしたのである。
SMAPが国民的スーパーグループになるまでには様々な紆余曲折があったのだ。
「帰ってきたカルチャースタァ☆平本淳也」
Profile●ジャニーズ出身の実業家、作家、投資家。10歳でジャニーズ事務所から芸能界入り、30歳過ぎまでアイ ドルを続け、現在もテレビや雑誌で活躍を続けるなか、月間100万アクセスを獲るカリスマブロガーとしても知られる。22歳のときに物書きデビューして以 来、34冊の書籍を発表。http://ameblo.jp/junya-hiramoto/
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Written by 平本淳也
Photo by geralt
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