血の繋がった弟の犯罪にも何一つ言わず黙って退路を断った女 『後藤真希の哲学』

2017年12月12日 アイドル ハロプロ モーニング娘。 ユウキ 後藤真希

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この1冊に全てが詰まっている『懺悔~ゴマキの弟と呼ばれて~』(ミリオン出版)

今年で結成20周年を迎えた「モーニング娘。」。現在までで卒業したメンバーを含めると、実に41名を輩出したモンスターアイドルグループである。その中でも、エースとしてグループ黄金期を支えた伝説のメンバーといえば、"ごっちん"こと後藤真希(32)をおいて他にいないだろう。

1999年当時、まだ13歳ながらもプロデューサーのつんく♂に「10年に1人の逸材」と言わしめ鳴り物入りで加入。大人びた風貌に金髪、東京出身ならではの垢抜けた雰囲気を持った彼女の登場に世間は沸きに沸いた。
その後、加入直後ながらグループのセンターポジションを担当し「LOVEマシーン」「恋のダンスサイト」など立て続けのミリオンヒットに貢献。2001年、グループにいる時に出したソロシングル「愛のバカやろう」もオリコン週間シングルチャート初登場1位を記録するなど、彼女の勢いは凄まじいものがあった。

しかし、それだけ事務所に貢献したにもかかわらず、彼女は不本意な形で所属事務所、アップフロントエージェンシーを辞めてしまう。それには実の弟である後藤祐樹(31)の起こした不祥事が関係している。



ゴマキをどん底に落とした不肖の弟


ここでごっちんのバックボーンについて改めて触れてみたい。ごっちんは東京都江戸川区瑞江出身。4人姉弟の3女で、2人の姉と弟がいる。父親とはごっちんが幼い頃、不慮の事故により死別。売れっ子アイドルになった後は、家族のために数千万円をかけて3階建の新築一軒家を建てるなど、一家の大黒柱として一生懸命働いていた。つまり、かなりの苦労人なのである。

そんな彼女に感謝しこそすれ、顔に泥を塗るようなことをしでかしたのが弟の祐樹。彼は姉の人気にあやかり、彼女と同じ事務所から「EE JUMP」のユウキとして2000年に14歳でデビュー。
しかし中学卒業直後に歌舞伎町のキャバクラのVIPルームで飲酒している写真が『FRIDAY』に掲載。つんく♂から破門を言い渡され、芸能界を追放された後は鳶職や実家の居酒屋で働いていた。
が、2007年には友人2人とともに建設工事現場に不法侵入して銅線を盗んで転売する銅線窃盗を行い、窃盗容疑で逮捕。2008年5月21日に東京地方裁判所にて懲役5年6か月の実刑判決を受け、川越少年刑務所に収監。2012年10月に仮釈放されている。

そんな不肖の弟が2013年に"懺悔録"として出版したのが「懺悔 ゴマキの弟と呼ばれて」(ミリオン出版刊)という書籍なのだが、この本ではごっちんの弟に対するあまりにも懐の深い対応が見て取れる箇所があるのだ。

以下、本から抜粋させていただく。

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「マキ、事務所辞めたわよ」
「え......」
「マキは、あんたのせいじゃないって言っているから」
「そんな......」
いや、違う。
僕のせいだ。
どう考えても、僕のせいだった。
僕がやったことで、マキちゃんの芸能生活を絶ってしまった。僕なんか、何にもマキちゃんと関係ないのに......。でも、世間はそうは見てくれず、僕の姉と言うだけで、マキちゃんのことも批判的な目で見てしまったのか。
マキちゃんは事件後、謝罪会見を開いたのだという。
胸が張り裂けそうになった。
僕が家族の前で銅線泥棒のことを告白したとき、マキちゃんは何も言わずにただ黙っていた。何一つ非難めいたことも言わなかった。本来だったら、一番怒ってもいいはずだったのに。

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......どうだろう。愚かな弟を一言も責めることなく自分1人で責任をすべて背負い、けじめをつけたのだ。ごっちんはこの時、まだ22歳になったばかり。辞めた理由は弟の逮捕で他のハロプロメンバーに迷惑がかかることを懸念したのと、活動の方向性の違いと報道されたが、青春のすべてを捧げてきたアイドル活動を不本意な形で辞めなければならなかったごっちんの心境を思うだけで涙が出てきそうになるではないか。



どうして神は彼女に試練ばかりを与えるのか


祐樹の本によると、ごっちんはエイベックスに移籍後も、忙しい仕事の合間を縫って刑務所に会いに行っていたといい、弟の体調を気遣ったり、刑務所での暮らしぶりを聞き、体育祭などで1位を取るなどの弟の活躍をほめてやったりしていたのだという。

しかし、ほどなくして最大の不幸がごっちんに襲いかかってしまう。

2010年1月24日、ごっちんの実の母である時子さんが自宅3階の祐樹の部屋から転落死するという事件が起こったのだ。遺書が無かったゆえに事故死か自殺か不明だが、変わり果てた母親の姿を最初に確認したのがごっちんだったというのもやりきれない。
祐樹の本によると、ごっちんは相当なお母さんっ子だったというから、そのショックは想像するにあまりある。それなのに母の死後は、甥っ子を連れて面会に来て「お母さんは亡くなっちゃったけど、家族みんなで力を合わせて頑張っていこうね」と気丈な様子で祐樹を励ましたというから、その健気さにまたも涙が出そうになる。

 「モーニング娘。」史上、一番壮絶な経験をし、一番男気を持つ女がごっちんだというのは、以上のことから分かっていただけたのではないだろうか。

ごっちんの"信用できる"人となりは、結婚相手の選び方からも見て取れる。かつての仲間たちが野球選手やミュージシャン、俳優などといった華々しい職業につく男性と結婚しているのにもかかわらず、同郷の3つ年下の一般男性と結婚。
力仕事に従事する彼のために毎日栄養バランスの高い食事を作り、その腕前はレシピ本を出版するほどというから、どれだけ地に足の着いたパーフェクトな女なんだという話である。

どうかどうか、このまま幸せでいて欲しい。TABLOは永遠にごっちんを応援しています!!


文◎編集部

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