TABLO編集長・久田将義 偉そうにしないでください。

「殺されるかもしれない」と弁護士は言った。久田将義の気になること-第3回:暴力とは何か?

2013年08月12日 久田将義 刃牙 暴力

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 人は圧倒的暴力の前に対峙したらどうなるのか。 

 という事を考える。これは僕がたまに、そのような場面に立たされるからだと思う。強さとは何か。これを追求すると際限がなくなる。

 喧嘩が強ければいいのか。人間力かあると強いのか。金を持っている人間なのか、権力を持っている人間なのか。武器を持っている人間が強いのか。そもそも、強くていいのか。強くなければならないのか。

 確かに喧嘩が強ければ「強い」のだろう。いや、喧嘩の強い人間を支配する人間の方が強いのではないか。それが大人の喧嘩なのではないだろうか。


 これを追求したのが漫画『グラップラー刃牙』(板垣恵介著)シリーズの中に出てくる。何でもありで「喧嘩」した場合、誰が一番強いのか。と、いう事も興味もあるが、それよりアメリカの大統領が拉致されて、「地球上最強の生物」範馬勇次郎と対峙した時の事だ。

 世界最高の権力を持ち、世界最強の軍隊の最高司令官の米大統領だが、一個の人間として地球最強の暴力性を持った男と一対一で対峙した場合、どうなるのか。

 同じ漫画で『キーチVS』(新井秀樹著)という作品がある。テロリストとされた主人公キーチが権力者を誘拐する。そこで権力者はどのような態度になるのか。オチを言うのは良くないので控えるが、非常に興味深い態度を取る。

 つまり、言いたい事は、圧倒的な暴力に対峙したらどんな権力を持った人間でも怯え恐れるのではないのか、という事だ。いや、違うという意見もある。どんな暴力にも耐えうる精神力を持った人間もいるだろう。

 それは何をも恐れない開き直りをその人間が持った時、彼は強さを持ったと言えるのではないだろうか。しかし、強ければいいのか。そこで土下座でも何でもして、涙を流して許しを乞い、その場を見逃して貰う事も出来る。

 その思い出を引きずって日々、過ごす人間もいる。それでいいのではないかと言う人もいるだろう。良くないという人もいるだろう。良くないという人は、プライドがあるから、という事から来ていると思う。

 では、プライドは必要なのだろうか。そのプライドは必要なプライドなのか、不必要なプライドなのか。プライドを持たない人間がいるとする。殴られても無抵抗な、的な。弱そうな人間を狙って集団でボコるチンピラがいるとする。今でも時々ある、ホームレス狩りのようなものだ。

 そのホームレスを見て僕らは情けないと思うだろうか、プライドを持てと思うだろうか。その場は無抵抗でやり過ごし、また日々の暮らしを始めるのも一つのやり方ではないのだろうか。

 人は少しでもプライドを持っているはずだ。それを捨てた人を僕は非難しない。プライドを持つ事がカッコいい事なのか、必要な事なのか、分からないでいるからだ。

 僕は何人かの武道家に取材込みで会ってきた。彼らは、そんな迷いなどないように見えた。アフガニスタンで死線をかいくぐってきた人間もいた。そこでは、僕のようなややこしい事を考える暇などないのだろう。

 強さとは何か、を追求すると際限がなくなりそうである。全てが相対化されてしまいかねない。けど、絶対化も出来ないと思う。どんなに身体を鍛えても上には上がいるはずだからだ。


 話を戻して「暴力」の話。暴力というか、喧嘩。

「男は窮地に陥った時にどのような行動を取るかによって、その真価が問われる」

 そんな言葉を誰かが言った。僕も窮地に陥った時、この言葉を思い出しながらヤクザやギャングや準暴力団と対峙してきたが、所詮、普通の精神力を持つ人間である。十人のヤクザに囲まれた時は、何も言えずに下を向いていた。ヤクザに恫喝され殺すと言われた時は、唇が渇き、顔から血の気が引いていくのが自分でも分かった。

 僕は一般人である。しかし、僕がヤクザだったらどうなるのだろう。看板があるからその看板の重みを考えれば、突っ張り通したのかも知れない。現に、「看板があるから、わしら引かんのですよ」とあるヤクザが僕に語っていた。

 では、最初のお題にヤクザという単語を付け加えてみよう。ヤクザという圧倒的暴力に対峙した時、人間はどうなるのか。

 逃げる。闘う。のどちらかだろう。闘う、を選択した人はよほどの権力を持っているかだろう。この場で殺されなければ、次があると思っている。しかし、次がなければ......?

 こんな話がある。僕の裁判担当の弁護士が問い合わせたい事があるという。

「依頼人の件で、これからヤクザの事務所に行かなければならない。殺されてもいいから行ってきます。ヤクザの事務所ってどうなっているのですか」と言う。今までの付き合いから、冗談で言っているようには見えなかった。

 彼はとてもではないが、武道をやっている人間には見えない、いかにもインテリの側の人間だった。

「ヤクザも人間です。少なくなりましたが任侠を標榜している人間もいる。一人で訪ねてきた弁護士をどうにかするはずはないですよ」と答えた。

 彼は本気だったと思う。目を見た時にそう思った(最近電話したが、元気そうだった)。


 裁判で思い出した。バブルが生んだ怪物許永中が公判中にぶっ倒れたという話。彼が調子が悪かったのか、緊張のあまりか分からない。しかし、アノ怪物が倒れるほど、裁判というのは緊張を強いられるものなのだな、と。

 証人で出廷した僕も、その日は喉に何も通らなかった。それでも何とかやりこなしている。そして、この文章を書いている。

 ガンジーのような無抵抗主義が強いのか。それも漫画『北斗の拳』で否定されている。これは生き方の問題なのか。

 この結論を求めるという事は、悟りを開くようなものであると思う。悟りを開いた人間は強い。悟りを信念と置き換えてもいい。信念を信仰としても良い。

 暴力とは何か。暴力は悪だ。暴力を振るわなければならない時があるのだろうか。仕方なく暴力を振るう場面も出てくるかもしれない。それでも抑える事が出来る人間が強いのではないか、というと結論っぽくなる。が、そうだろうか。必要悪という言葉がある。

 これも可笑しな言葉だ。悪に必要なんてあるのか? では、暴力は必要ないのではないか。この世から暴力はなくなった方がいいのか。

 なくならないし、必要な時もあるのではないか。ここではあえて、結論を出さないで、次に持ち越していく。次号は【喧嘩とは何か】を論じてみたいと思う。


 【関連記事】岡留安則、吉田豪、プチ鹿島、草下シンヤ他、日刊ナックルズの連載記事


Written  by 久田将義(日刊ナックルズ編集長)

Photo by 範馬刃牙37(少年チャンピオン・コミックス)板垣恵介

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