TABLO編集長・久田将義 偉そうにしないでください。

「続・暴力とは何か?」 久田将義『ほぼ週刊気になること』連載4

2013年09月06日 久田将義 暴力 格闘技

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  大変、ご無沙汰してしまい申し訳ありません! 言い訳はありませんが、一つだけさせて頂くと結構、日刊ナックルズの日々の編集作業が大変だったりしまして、立ち上げ時だからだとは思いますがそれ以降は、頑張って書きます。ですからタイトルに「ほぼ」と付け加えさせて頂く事を何卒ご了承くださいませ。

 ◇

 前回は暴力とは何か。を論じたのですが、まず暴力という言葉、あるいは漢字だけで嫌悪感を持つ人がほとんどだと思います。僕もそうです。

 ただ、これが英語のバイオレンスになると映画の宣伝文句のようで印象も変わるのではないでしょうか。漢字ってある意味「怖い」ですね。

 

 と言う事はともかく、人間、いつ何が起きるか分からない訳です。今、これをご覧頂いている大人の方も、子供の頃には殴り合いの喧嘩をした方もいらっしゃると思います。人が人を殴る時。いや、言い方を変えると初めて人を殴った時(殴ってはいけません)、罪悪感を感じませんでしたか? 罪悪感が麻痺する事によって、人はより凶暴になり犯罪を犯しますが、その凶暴性を抑制する為に武道があるのだと思います。空手、柔道などがそうですね。

 僕が高校の頃、アマチュア相撲一位の同級生がいました。彼は現在、日体大教授で相撲部の監督をしているはずですが、握力が120kgくらいあって、それはどれくらい脅威かと言うと電車のつり革の取っ手の部分を握り潰したり、少年誌を引き裂く位な程です。

 なので、彼自身も絶対、街中で喧嘩はしない、と決めていたようで確か、僕にもそのような事を言っていた記憶があります。僕が所属していたラグビー部も気が荒い連中の集まりで一人の人間が彼と喧嘩をしそうになったので、慌てて僕らが止めた思い出もあります。

 絶対、相撲部の彼にやられると思ったからです。

「世の中、怪物みたいなのがいるなあ」と彼を見て思ったものですが、「もしかして」そのような怪物じみた人間と対峙した場合、どうなるのでしょうか。たまに、そういう事を想定して道を歩く事があります。

 人間、どういう事が、いつ起きるかなんて誰も分かりません。それは得てして日常生活に紛れ込んでいるものです。

 例えば、六本木を歩いている時。特にロアビル側は黒人のキャッチだらけです。当然ながら僕よりも体格が大きく、彼らに暴力を振るわれたらひとたまりもないでしょう。

 そういう時に、こんな事を思い出します。

 知り合いの人間は空手有段者ですが、前述の相撲部の人間の例を出して「本気なら相撲が最強なんじゃないか」と言ったところ、プライドを傷つけたらしく「空手の本気の方が凄い」と反論されました。

 この場合、空手対相撲といった格闘技論ではなく、彼対相撲部という図式になってきます。もっと簡単に言ってしまえば気持ちの問題になると思います。つまり、「彼対彼」という事です。どんなに喧嘩が強くても、あるいはどんなに武道に優れていても体調が悪いとか、その時の怒りの度合いによって、暴力の度合いというのは変わってきます。

 以前「BE-BOPHIGH SHCOOL」(きうちかずひろ著)でも同じようなセリフが出てきました。「どんなに強い奴でもその時の体調とかによって強さは変わる」と。多分、六本木の黒人に対峙した時にも当てはまるでしょう。僕は対峙しませんが。腕に覚えのある人は恐らく立ち向かうのでしょう。

 体調の良し悪し、で思い出しましたが15年程前、グレイシー柔術がUFCに登場し世の中の格闘技ファンを驚愕させた時、安生洋二選手というUインター(当時)のファイターが単身、ヒクソン・グレイシーの道場に行き、道場破りを試み返り討ちにされました。顔面が腫れあがり、血まみれの顔面の安生選手の様子はプロレス雑誌に掲載され、僕も含めて皆、ショックを受けたと思います。そのビデオを関係者は観たはずですが、公開されたのでしょうか。

 安生選手の敗因は色々あると思いまずが、様々な書物を読むと前日、酒を飲んでいたとか、寝不足だったとか書かれています。つまりコンディションが悪かった、と。恐らく闘気もなかったのだと思われます。

 つまり路上で暴力と対峙した時も同様です。闘気、気力がどちらが強いかが勝ち負けの決め手となってきます。が、いちいちそういうリスクを冒すのもどうでしょうか。それに人生を賭けている人なら、まだ百歩譲って気持ちは分かりますが普通は、「暴力との対峙」から逃避するべきでしょう。その逃避に対して、僕は非難をしようとは思いません。逃避しないのであるならば、「後始末」がちゃんと出来るかを計算しなければ対峙しない方がいいでしょう。俗に言う大人の喧嘩です。

 人は身体を鍛える事によって、心の弱さを克服しようとします。僕もそうです。気が弱いからラグビー部に入ってみました。自らの身体をタックルという名の特攻で、自分より身体の大きい人間にぶつけていきました。

 確かに、それでコンタクトに対する恐怖感はなくなったかも知れません。しかし、怖いのはその慣れが、油断とおごりにつながった時です。「上には上がいる」と昔の人はいいました。それは自分自身に対する戒めなのだと思います。「戒め」を僕は忘れがちです。今、この文章を書いていて「戒め」の重要さを思い出した所です。



【関連記事】久田将義の気になること-第3回:暴力とは何か?



Written by 久田将義

Photo by ヒクソン・グレイシー 無敗の法則/ダイヤモンド社

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ヒクソン・グレイシー 無敗の法則

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