三年目の3.11に原発アウトローの悲痛な叫びがメールで届いた。
「ニュース見ましたけど、なめてますよ」
そんな書き出しだった。福島第一県発で、未だ出口が見えない廃炉作業に携わっている作業員からのメールだ。いちいち、アリバイのように3月11日になると、関係者にメールをしたり電話をしたりするのは嫌だったが昨年末、彼らとは福島で飲んだばかりだったので改めて連絡を取っていた。彼らを取材してから(飲み始めてからと言い換えた方が正しいかも知れないが)、二年半が経つ。
私信なので彼からの文面を転載できないが、要旨としては「ニュースを見たけど廃炉作業が見えてきた、みたいな事を言って」、それで「なめている」と感じたのだろう。ショートメールだし、もし本当にじっくり話を聞きたいのなら、また僕が福島に足を運ぶべきなので、この辺でやりとりは止めておいた。
昨年も同じようなことを彼らは言っていた気がする。「マスコミは3月11日だけやって来て、記念日のように放送する」と吐き捨てていた。そういう意味では、フリーライターやジャーナリストが、東日本大震災の被災地にきちんと足を運んでいる姿には敬意を表する。
福島第一原発の作業員といっても何千人もいる。元作業員のインタビューや現役作業員のインタビューも最近は放送ベースに乗るようになった。もちろん、彼らの言葉も真実だ。たが、メディアに露出する人たちは、その中のごく一部に過ぎない。むしろ、作業員にはメディアに出たがらない、あるいは関心がない人の方が多いような気がする。いわゆる「サイレントマジョリティ」だ。
僕とメールをやり取りする作業員たちも恐らく、自分が語った言葉が活字(拙著『原発アウトロー青春白書』)になるとは思わなかっただろう。彼らは勇気を持って語ってくれた。僕の番組『ニコ生タックルズ』(ニコニコ生放送)にも顔を隠し、声を変えて出演してもらった。
二年半前、彼らのクルマで国道六号線を下り、彼らの故郷である双葉郡・相双地区へ連れて行って貰ったことを今でも思い出す。
「もう、(このあたりは)ぐちゃぐちゃですよ。どうなるんすかね」と彼らはつぶやいた。国道六号線に乗り上げた無数の乗用車。ガタガタに崩壊した道路。放射線は今より高かったに違いないが、僕は白い布マスクのみだった。彼らは着のみ着のままの姿で、自分たちの故郷をぼんやりと眺めていた。
その後、僕と付き合いのある作業員は、除染作業に回された者もいた。当時と変わらず福島第一原発に残り、廃炉作業に携わっている者もいる。しばらくすると、作業員の「線量隠し」の問題や「給料中抜き」問題などが、報じられるようになった。だがそれらは当初から分かっていたことだった。そんな報道が出るたびに彼らと連絡を取りながら、時には福島に行って話し合った。
「どうして今頃なんだ?」
「もっと報じることがあるでしょ。根本的なところで」
そうはいっても僕は当事者ではない。被災もしていない、福島第一原発で働いたこともない。事件や事故で最も大事な視点となる当事者性を僕は持ち得ていない。しかし、当事者の視線にできるだけ立とうという意識は持っている。事件が深刻であればあるほど、この当事者性がなければこういった事故の報道にかかわるな、とさえ言いたくなるくらいだ。
彼らは故郷の復興については半分あきらめているようだった。歳が若いせいもあるだろう。しかし、お年寄りはやはり、故郷を忘れることは出来ない。福島第一原発についても、「なめてますよ」というメールに、彼らの悲痛な心情が込められている。廃炉に関して、現場レベルでは何も進んでいないのだ。
「なめてますよ」
そんなメールの文面を読むたびに、やるせない思いに包まれてしまう。3年目の3.11を迎えてもなお、復興は進んでいない。
Written Photo by 久田将義(東京ブレイキングニュース編集長)
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