Photo by 美味しんぼ 110 (ビッグコミックス)
物議を醸した『美味しんぼ』(『ビッグコミックスピリッツ』小学館発行)の感想を、僕の取材した範囲で作業員や被災者たちの声をお届けしてみたいと思う。『美味しんぼ』は問題をいくつかに分けなければ混乱する。そこでまず『美味しんぼ』"福島の真実"編の中身について述べてみたい。
前回の東京ブレイキングニュース(TBN)の記事で書いたように、僕には主人公・山岡士郎が鼻血を出したシーンに疑問符が付いた。では、福島の現地の人たちはどう感じたのか。もしくは周辺でそのような症状を聞いているのか。まずは被災者でもあり福島第一原発(以下・1F)に十年以上働き、3.11を経験した作業員に話を聞いた。
「鼻血が出てるなんて話は聞いたことある?」と問うたところ、二人とも「周りにそんな人は一人も知りません」という答えだった。
二人の「周り」というのは家族、友人も含めてなので十数人はいると考えていいだろう。単純計算で二十人前後の双葉郡の住民やもっとも放射線を浴びているはずの作業員たちの間でも、鼻血が出るなんてことは聞いたことがないし、本人たちにもそういった症状は出ていないという。
しかし、元双葉町長・井戸川氏や取材に行った原作者・雁屋氏が鼻血を出して倦怠感を訴えている。これが「福島の真実」なのかと言われれば、違和感を感じないほうがおかしい。「井戸川氏や雁屋氏の主観」であって、決して福島の真実ではない。
続いて、作業員で3.11を経験し、それ以降も1Fに残り復旧作業を文字通り命がけで続けたいわゆる「FUKUSHIMA50」と呼ばれる人間にも電話取材をした。彼は呆れたような声で語った。
「僕は双葉郡のある町に住んでいましたが、もう戻れないような状態です。僕は積算45ミリシーベルト食った(作業員は放射線を浴びることを「食った」と表現する人がいる)けど、鼻血も倦怠感もない。また、3月に22日付近に三号機の中の汚染水に間違って短靴で入って被爆した作業員がいましたけど、彼も現在は普通に仕事をしてますよ」
また、1Fの作業員から移って除染作業をしている被災者も「僕の周りで鼻血や倦怠感を訴える人はいません」との答えだった。
現在も双葉郡在住の1F作業員は、「スピリッツ読みました。鼻血の話は『ない』ですね。作業員でも鼻血が出ているって話は聞いたこともないです。ただし、『福島には住めない』という話に関しては何とも言えないです。本当に国や東電に騙されているのかも知れないので、今回の『美味しんぼ』は奴らには騙されるなという原作者のメッセージにも取れる。鼻血の描写以外は良いとも悪いとも言えないですね」
彼は鼻血に関しては否定的だが、「住めない」という情報に関しては政府や東電に疑問を持っており、それに関しては雁屋氏の主張も分かるというスタンスだった。
郡山在住の人間にも話を聞いた。作中でも線量が高いと指摘された地域だ。
「少なくとも、郡山では鼻血騒動など聞いたことがありません。個人的に井戸川さんがFacebookで鼻血を投稿していますが、倦怠感とか鼻血の症状も井戸川さんの年齢的な話ではないかと思いたくなりますね。確かに福島には人が住めない地域がある。ただ、福島県は全国で3番目に大きくて、同じ福島でも三つの地域に分けて天気予報をやるくらい広い県です。地域によって状況は全然違うわけで、ただ単純に『福島に住めない』と大っぴらに広められると、少なくとも風評被害を受ける地域があるのは間違いない。ひとくくりに福島イコール放射能で住めない地域という決めつけはすごく怖いし乱暴です。ただの暴力と大して差はないかなと考えています」
福島第一原発事故は日本で最初の原発事故であり、低線量被爆については前例がないためにデータが取れていない。専門家の間でも議論が交わされている最中であり、ここでもはっきりと白黒は付けられないのが現状だ。東京新聞のコラムにあったタイトルと同じで「確かな事は分からない」状態で、専門家たちが断定することなく風評被害も考えながら慎重に精査している最中だ。そこは、同じ小学館発行のビッグコミック掲載の『そぱもん』の言葉を借りれば「専門家に任せたい」分野なのだ。
ここまで読んでお気づきのように、『美味しんぼ』第604回には学者、有識者のコメントを掲載しているが、ここでも大きな疑問が残った。なぜ学者、有識者だけに限定したのか。雁屋氏が取材した以外の人々、それこそ福島在住の実際に被爆している被災者、作業員といった地元住民の生の声を掲載すべきだったろう。それこそが「福島の真実」なのではないか。
雁屋氏に対して批判的なことを書かせてもらったが、極論をあえて言わせていただければ漫画表現に関しては思想の自由、表現の自由、言論の自由の上では、「アリ」だと考えている。
誤解を招くと困るので追記すると、他人を傷つける表現については道義上避けるべきだ。しかし、今回の『美味しんぼ』の話ではないが「人を傷つける表現も」ある(良くない事だが)。それには抗議・反論の自由があり、それを行使するのも当然だ。『美味しんぼ』の場合、名指しされた福島県、双葉町、大阪府・大阪市である。
その記事や漫画と反論のどちらが正しいかは、読者の判断と後世の史家に委ねることになる。また、時には反論を超えて、暴力や脅迫、裁判や出版差し止め等になる可能性もあるのが「思想の自由、言論の自由」というものだと解釈している。数多くの抗議、脅迫を受けた経験者としての僕個人の考えになるのだが。
ちなみに『美味しんぼ』の一時休載については元から決まっていたようで、漫画誌でよく「作者病気の為休載します」「作者取材の為休載します」といった説明がされるように、今回の休載も抗議を受けてではなく、予め決まっていたものだと思う。漫画家のコンディションにより「どうする? 来週休みましょうか」という担当編集は漫画家に相談したりする。そういった流れによる休載だろう。
しかし、編集部も困っているはずだ。現在の雁屋氏はビッグコミックスピリッツ黎明期からの立役者であり、意見を言える人がいないほどの存在だという。今回は「雁屋先生の言うとおりの主張で掲載しますが、その後に学者や有識者の声を掲載しますが宜しいでしょうか」というのが編集部の精一杯の妥協、あるいは折衷案だったのではないだろうか。
そもそも僕は『美味しんぼ』のコミックス第一巻から持っており、今回の「福島の真実編」も買っているファンだったが、「福島の真実編」の冒頭やラストでは、山岡・海原との親子愛復活と福島の食を題材にしていたものの、終盤の第603回、第604回で一気にテーブルをひっくり返してしまった。とはいえ、ひじょうに不快な表現ではあったが、官房長官や国務大臣が口を出すべき問題ではない。名指しされた福島県、大阪府・大阪市が反論・抗議するのは分かるが、こんな事態でも「言論の筋」は通したいものである。
特に安倍首相が『美味しんぼ』についてわざわざコメントを発表するところなど、『美味しんぼ』第603話、第604話を読んだ時と同じくらいの違和感しかない。第604話には、三年経った今も仮設住宅(作品内では小学校だったが)で暮らす被災者の精神的なストレスや苦しい生活振りが描かれていた。
彼らのような政権内の人間が一漫画に目くじらを立てるより、いまだ厳しい生活を強いられている被災者を何とかするのが、本来の役目ではないのか。安部首相(政権)のキャッチフレーズが「日本を取り戻す」であるなら、日本人である被災地の方々の補償を早急にやるべきだろう。漫画批判はメディア、学者、専門家、そして何と言っても賢明なる読者に任せて、被災地を救うということを大前提として迅速に動いてもらいたいものである。
Written by 久田将義(東京ブレイキングニュース編集長)
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