以前、『ザ・ギャング』というDVDに出演しました。チーマー事情について、と不良少年事情について感想を語った記憶があります。
「こういう時代もあったんだな」という意味では資料的価値のあるDVDです。取材された縁で東京で、いや全国で最も早く結成されたと言われているギャングの一つ「フローレンス13」を紹介してもらう事になりました。『実話ナックルズ』でも掲載しようかと思い、その三代目のアタマのR君を紹介して頂いきました。
今でこそ、ギャングが『実話ナックルズ』で掲載されていますが、初めて登場してもらったのがこの回でした。そしてR君はラッパーでもあり、まだメジャーデビューはしていないがいくつかのレーベルから誘われていると言われていました。
渋谷のバーで初めて会った時、目つきが鋭く決して友好的な雰囲気ではなかったのですが、話せば分かってくれる奴だなと感じました。クレバーでした。で、取材のお願いをしたところ、初めは躊躇していましたか、話しているうちにOKしてくれました。彼のライブも行ってみました。
僕はHIP‐HOPが大好きで高校の頃から聴いていましたから、こかれこれ30年以上になります。渋谷の宮益坂の「HIP HOP」という店や西麻布の「レア・ソウル」という小さな箱が好きで、明大中野の同級生のファンキーズの一人と毎週末行っていました。懐かしいものです。
当時は日本語ラップは好きではありませんでした。が、R君のラップは良かったでのです。「聴いてみるものだな」と感銘を受けました。以来、ギャングスタ・ラップも『実話ナックルズ』で取りあげ始めました。R君とは携帯の番号を交換し、たまに僕の携帯にかかってくるようになってからは、とりとめもない話をするようになりました。
「ギャングなめんな。今すぐ出て来い」
ある時、ギャングを取り上げた際の問題が別の雑誌で起こりました。
同じ会社内のある雑誌で「ギャングを創った男」というようなタイトルで記事が掲載されました。それは「フローレンス13」と並ぶ伝統のあるギャングの事で、僕は雑誌が出来上がってから初めて見たのですが、筆者の思い入れたっぷりの記事がちょっとバランスに欠けているとは感じたものの、まあ、書いた人間を知っているし、「彼らしい」と思いさらっと目を通しました。
その記事には、ある人物がフィーチャーされており、彼が「ギャングを創った」となっていました。でも、「実は違う」と。「俺らが創ったんだ」というギャングが抗議に来た訳です。
そのギャングは「地元に来い」そしてライターと編集長と謝りに来いと言ってきました。
間違いがあるのなら、そのギャングに事情をきちんと聞き、次号で訂正しなければなりません。それは編集者としての筋です。
しかし、抗議はかなり強硬に来ているらしいのです。
その雑誌のA編集長が悩んでいたので、そのギャングのケツモチに僕は電話をしました。
「ウチの会社の雑誌にこんな抗議が来てて、僕で話をしていいですか?」と問うと、「構いませんよ。相手にしなくてもいいですよ」というような答えだったと思います。
そこで、僕は「話しておいたから、行ってきて大丈夫だよ」とA編集長に言いました。が、A編集長は「ついて来て下さいよ」と言います。僕はその雑誌の編集人でも発行人でもなかったのですが、A編集長は後輩にあたるので行く事にしました。
時期は冬でした。ギャングが指定したバーに行く途中、同好のライターが震えていました。
「そんなに寒いの?」と聞くと「怖いんです」との返答。「何て素直な奴なんだ」と思いつつ、バーに着きました。
「ここにギャングが溜まってんのか? 嫌だなあ」と思いながら、ドアの前に立つが誰も開けようとしません。「早く開ければ」と言うと、「いや、どうぞ」と、二人。
仕方ないので(繰り返しますが僕はこの雑誌の編集には全く関わっていません)、僕が先頭を切って開けました。店の中の人はまばらでした。
カウンターに一人で座っている人間がいました。僕が声をかけるしかない状態でしたので(僕はこの雑誌には本当に全く関わっていないのです)、「電話をもらった○○さんですか」と声をかけました。
「ああ、そうだけど」とぶっきらぼうに答えるギャング。話し合いが始まりました。とりあえず謝ります。
あまりにもA編集長とライターが何も言わないので、さすがに僕は「あと、言う事があったら三人で話してみれば」と言い黙る事にしました。すると、ギャングはライターにからみ始めました。
小一時間経ちました。「何が言いたいのかわからないわ、この人」。僕は頃合いだと思い、
「この辺でいいですか。謝罪文を書くということで」というような事を言って席を立ちました。
ところがそのギャングは何日か後に、ライターを連れまわし、絡んでいたらしいのです。僕は後から知ったのですが、「何だよ、僕の付き添いと話つけたのは無駄になったじゃん」と不満に思いました。
それから数年経ったある日。某警察署から電話がありました。僕に面会を求めている人間がいるといいます。そういう人はたまにいらっしゃるので、出かけました。すると、そこには例のギャングが窓ごしにいるではないですか。トライバルが入った身体で僕に、笑顔を見せています。
「久し振りじゃないですか。何してんです? こんな所で」
と尋ねたら、「ちょっと」と言葉を濁します。さらに言葉をつづけようとしたら、警察官に止められましたた。何か言いたげな彼を残して、半ば強制退室させられてしまいました。
数日経ってその警察署から電話があり、もう面会は出来ないと言います。僕はその法的根拠を求めたましが、とりつく島もありませんでした。それきり彼とは会っていません。風の頼りにヤクザになったと聞きました。
もう会社を辞めてしまいましたが当時の編集長、ライターには悪いなという思いがあります。首を突っ込んでしまったのなら、最後まで僕が関わるべきでした。僕は僕で『実話ナックルズ』編集長として多忙だったのですが、がそれは言い訳です。僕にとっても苦い思い出で、後輩に申し訳ないという思いが今でもあります。久田将義・連載『偉そうにしないでください。』第十五回)
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