山口県出身の大原誠さんは、イタコのように、祖母の霊の憑代(よりしろ)になったことがある。
大原さんの父は若い頃いわゆる放蕩息子で、所帯を持っても家に金を入れず、それどころか勝手に財産を持ち出して、怪しい事業投資や株でスッてくる始末だった。
一家は困窮して畑を手放し、美容師の資格を持っていた母が自宅の一角に美容室を開いて家計を支えた。
家事と子育ては祖母が引き受けた。幼稚園の送り迎えも、お弁当づくりも、授業参観も祖母の役目だった。洗濯も、朝餉夕餉の支度も、遊びの相手も。
大原さんは一人っ子であり、祖父は早くに亡くなっていたので、大原さんと祖母は家で二人きりで過ごすことが多かった。自然に、祖母と彼との間には母子さながらの親密な関係が築かれた。
しかし大原さんが中学校1年生のとき、一向に改まらない父の行状に母方の祖父母が業を煮やして、彼と母を大阪府の高槻市にある実家に呼び戻した。
これまで母親代わりになって育ててくれた祖母との別れは辛かったが、子供の身ではどうしようもなかった。
やがて彼は19歳になった。その年の2月のある夜のこと。自宅の1階にある自分の部屋で眠っていたところ、ふいに大きな声で名前を呼ばれたような気がして目が覚めた。
「誠! 誠! 誠!」
初めは夢の中で聞こえたのかと思ったが、布団から起きてみても、確かに窓の外から繰り返し聞こえてくる。枕もとの目覚まし時計を見てみたら、午前2時だ。
こんな丑三つ時に訪ねてくる者といったら1人しか思いつかなかった。
近所に住んでいる親友のAだ。Aは町内のコンビニでアルバイトしていて、バイトがはけると昼だろうが真夜中だろうが、大原さんの家に立ち寄って、外から彼を大声で呼ばわるという悪癖があった。
人懐こくてイイ奴なのだが、前々から困ったものだと思っていたのだ。それにまた、今夜はずいぶん声がしわがれている。どうせ風邪でもひいたんだろう。さっさと帰って寝てしまえばいいのに、まだしつこく呼んでいる。
「誠、誠、誠ぉ!」
大原さんは苦笑いしながら声がしてくる方の窓を開けた。
「おいこら、A! 何時や思てんねん!」
ところが、窓の外にはAの姿はなかった。
上半身を窓の外に突き出してあたりを見回してみたが、誰もいない。
そういえば、あの声、本当にAのものだったのかな......。
だんだん気味が悪くなってきて、窓を閉めて布団に戻りかけたとき、家の固定電話が鳴った。
それは山口県に残してきた祖母の急死を知らせる電話だった。
大原さんは母と一緒に郷里に戻り、祖母の葬式を上げた。父と父方の親戚一同とも再会した。通夜では、大原さんが夜通し祖母の亡骸の番をし、棺には祖母が生前よく歌っていたカラオケの歌詞カードを祖母のうちの箪笥から探し出してきて入れてやった。
やがて骨上げの時になった。それまでは穏やかな良い葬儀だった。しかし、火葬場の係の人が箸で遺灰を整えはじめて間もなく、一同、異変に気がついた。
大原さんが棺に入れた歌詞カードだけが、なぜか焼けずに残っていたのだ。
それを見た途端、大原さんは気絶してしまった。
気がついたときにはソファーに寝かされていて、みんなが心配そうに彼を取り囲んでいた。意識は戻ったが体が思うように動かせず、焦っていると、勝手に唇が開いて喉の奥から声が飛び出した。
「誠、あんべろ!(ありがとう)」
今も耳の底に残る懐かしい山口弁。それは紛れもなく祖母の声だった。
そして、祖母が逝った夜に彼を窓の外から呼ばわったのもこの声だったと大原さんは気がついた。
彼は声を発しているつもりはなかった。声質も彼本来の声とは違って、しわがれている。
操り人形のように自分の右腕が持ち上がって、指先が母の方を指すのを大原さんは眺めた。
「アケちゃん(大原さんの母の呼び名)、たえがとぅごぜます。うちはぶち幸せます(ありがとうございます。私はすごく幸せです)」
「ばあちゃんや! ばあちゃん!」
母は大原さんの手を握って、その場に泣き崩れた。父もかたわらで涙を流していた。
大原さんは再び意識を失い、それから1時間ほど火葬場のソファでぐっすり眠っていたそうである。そして目覚めると、こんどは急に腹が下ってきた。
トイレに駆け込んで用を足しながら、大原さんは自分の体の中から祖母の魂が出ていくのを感じたのだという。
彼の母は今でもたまにこのときのことを思い出して、「やっぱりばあちゃんは誠のことが大好きなんやね」と、祖母がまだ生きているかのように話す。
そのたび大原さんは子供時代の山口弁に戻って、こう母に返すのだそうだ。
「そりゃあそれっちゃ! わしは、ばあちゃんに育ててもらったんじゃけぇ!」
文◎川奈まり子
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