世間で流行っている「昭和」にピンと来ない俺たち40代
昨今平野ノラの大ブレークなどもあり、バブル時代が注目されているが、これと同時に注目されているのが「昭和」である。昭和末期に生まれた人や平成生まれの若者も下町の路地裏を通ったり駄菓子屋を見れば「昭和っぽ~い」と普通に言い、「昭和に憧れる~」みたいな声も聴く。現在のメディアの文脈で語られる「昭和」といえばバブル期(イケイケで楽しそう!)、第二次世界大戦前後(暗黒の時代。もうあの頃に戻ってはいけません)、「『三丁目の夕日』に代表される1960年代の高度成長期」(あの頃の日本人には夢があった......)の3つが主となる。
しかしながら、第二次ベビーブーマーたる現在の40代中盤の人間にとって昭和とはこれら3つではない。どれもまったくピンと来ないのである。バブルの時代に生きていたのは事実ではあるが、その恩恵を受けた世代よりは少し若く「一万円札3枚を振りかざしてタクシーを必死に拾った」やら「アッシー・メッシー・3高」やら「大手金融機関にすぐ内定を取れ『拘束』のためにハワイに行かされた」なんて話はまるで知らん。
我々にとっての昭和は「ごく普通の庶民がそれなりに普通の人生を送るようになった昭和」であり「若干の殺伐さとモラルのなさが残り、『コンプライアンス』もクソもない昭和」である。というわけで、昭和48年(1973年)生まれの私は昭和52年(1977年)から昭和62年(1987年)までの昭和の子供が見た風景を振り返っていく。昭和48年生まれは第二次ベビーブーム生まれ(昭和46~49年)の中で最も多い209万人の「同期」がおり、この世代は受験は厳しく就職活動でも内定が取れないというどうしようもない世代ではあるが、若干の逞しさはあることだろう。彼らの子供時代、どんな風景が広がっていたのか――。ここを思い返す。
昭和は64年まであったが、私が昭和62年までとした理由は、昭和62年までしか日本にいなかったからである。父親の仕事の都合でアメリカに住んでいたため、その1年数か月のことはよく分からない。
さて、前置きが長くなったが、まず振り返りたいのはハンバーガーである。1971年にマクドナルドができ、1972年にロッテリアができた。モスバーガーも同時期に1号店が誕生していたが、ここではマクドナルドとロッテリアを軸に話を進める。
私が生まれて初めてハンバーガーを食べたのは1978年、5歳の頃だったが当時マクドナルドのハンバーガーは180円ほどはしていたと思う。ハンバーガーとチーズバーガーは現在と同様に紙で包まれていたが、高級なフィレオフィッシュとビッグマックはプラスチック製のパッカンと開ける容器に入っており、親がこれを買ってくると心が躍るほどだった。
ハンバーガーは「堕落の象徴」であった
当時の母親は「味噌汁は煮干しでダシを取れ」的な教えを守る人が多く、ハンバーガーのテイクアウトは堕落の象徴と目されていた。私は当時父親がインドネシアに単身赴任しており、母親が東京・渋谷の出版社で校正のバイトをしていたこともあり、時々彼女はバイト帰りにハンバーガーとポテトを家族(母・姉・私)分買ってきてくれた。マクドナルドの袋をぶら下げていると「まっ、中川さん家のお母さんったらハンバーガーでご飯を済まそうとしているわよ」などと近所の人から陰口を叩かれる状態だった。
母親は基本的にはウーマン・リブ等に共感していた人だったため、こうした批判に対してぇ...「ケッ、うっせー。女が家事で時に手を抜いて何が悪い!」とばかりにマクドナルドとロッテリアのハンバーガーを買い続けた。当時私が住んでいたのは田園都市線の鷺沼という駅であり、駅のすぐ近くにロッテリアがあり、道を渡ったところにある東急プラザにマクドナルドがあった。
どちらに行くかというのは明確な逡巡となっていたが、当時の我が家の基準では「エビバーガーが食べたければロッテリア。それ以外ならばマクドナルド」となっていた。だが、いずれにしても食べるものといえば通常は野菜炒めと麻婆豆腐ばかりであった我が家において、ハンバーガーの日は晴れのご馳走デーだった。
今考えると当時、片親の家は白い目で見られることが多く、「すかいらーく」等のファミレスに母子3人で行くのを母親は嫌がっていたのかもしれない。3人で外食をした経験が一切ないのである。その代わりとして、マクドナルドとロッテリアが「たまのご馳走」としての役割を果たしていたのだ。
バブル崩壊後、マクドナルドのハンバーガーは130円になったり65円や59円になるなどし、マクドナルドの店舗はもはや中高生が手軽にダベる場のようになっていった。しかしながら我々世代にとってマクドナルドやロッテリアは「レストラン」と同格の晴れの場だったのである。こうした我々世代がハンバーガーを「夢の食事」扱いするがために、今でも自販機のハンバーガーを求め、わざわざ遠くまで遠征する人がいるのかもしれない、なんてことも思うのだ。
文◎中川淳一郎(編集者)