中川淳一郎の俺の昭和史

「8時だョ! 全員集合」がナウかった時代|中川淳一郎・連載『オレの昭和史』第二回

2017年12月05日 ドリフ 中川淳一郎 昭和

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40代のおっさんたちが最初に見たガチバトル


現在「テレビを見ている」と言うと仲間の間ではバカにされるという話を大学生から聞いた。一人暮らしの場合は「ウチ、テレビないんっス!」と言うのがイケているらしい。まぁ、それはいい。若者というものは常に過去に流行ったものを「オレは使っていない」というのがイケてると思うものである。
ただし「PCなんてオワコン。スマホで十分」というのは正直40代の私などわからない。ただ「スマホで十分というのは事実」と言うことにより、「若者の気持ちが分かるオッサン」を装うこともできるという状況もある。

我々40代中盤世代にとって「新しいものVS古いもの」のガチバトルを初めて見たのは土曜日夜8時の『8時だョ!全員集合』(TBS系 1969年~1985年)と『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系 1981年~1989年)の視聴率競争である。

『全員集合』についてはWikipediaに以下の説明があるが、ザ・ドリフターズ(いかりや長介、高木ブー、仲本工事、加藤茶、志村けん)が中心となり、様々なゲストが登場するコントありの歌謡ショウありの番組はこれだけ人気があったのである。しかも、恐ろしいことにこれが生放送だったのだ!


〈番組全体の平均視聴率は27.3%で、最高視聴率は1973年4月7日放送の50.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区にての数値)であった。 最盛期には40% - 50%の視聴率を稼ぎ、「お化け番組」「怪物番組」と呼ばれ、「土曜8時戦争」と呼ばれる視聴率競争でも無敵の番組として君臨する存在であった〉


加藤茶が「ちょっとだけよ~」と言いなまめかしく脚を露出させるのを小学生男子が軒並マネしたり、「カ~ラ~ス~、なぜ鳴くの~? カラスの勝手でしょ」といった流行語も作った。今や「国民的番組」など紅白歌合戦かサッカーW杯本戦以外は存在しないような状態だったが、間違いなく当時の『全員集合』はそう呼ぶに相応しい視聴率を誇っていた。

しかし、この状況は『ひょうきん族』登場以降崩れるようになる。『全員集合』は「ドリフ」と呼ばれていたが、当時の小学生の間では「ドリフを見てるなんてだっせー!」「今、ナウいのは『ひょうきん族』だよ」と言うのが流行ってきていた。
今の言葉でいえば「ドリフも志村けんも加藤茶もオワコン。今の時代はビートたけしの『タケちゃんマン』、安岡力也の『ホタテマン』、山田邦子、明石家さんまの『ブラックデビル』の『アミダばばあ』とかだよ! なーにが『ヒゲダンス』だよ! といったところか。

当時の小学生の間では「ドリフ=ジジババとオッサン・オバサンが見るもの」、「ひょうきん族=若者が見るもの」という認識が高まっていった。土曜夜のオンエアの後、翌週月曜日の小学校では、『ひょうきん族』のネタを披露するのが普通のこととなっていった(なお、当時は土曜日も登校日である)。

drif.jpg『ザ・ドリフターズ結成50周年記念 ドリフ大爆笑 DVD-BOX』より


ドリフを見る子供は月曜日がツラかった


そんな状況でドリフのコントを見ることは「ダサい」ことの象徴であった。1982年あたりから「各部屋にテレビがある」時代は当たり前になっていった。だからこそ、小中学生のきょうだいは子供部屋で『ひょうきん族』を見て時代の流れについていった。
しかし、自宅にテレビが1台しかなく、親にチャンネルの主導権がある場合は『ドリフ』を見ざるを得ない。コントの最中に洗面器が上から落ちてきたり、セットの家が傾いてお決まりの「チャチャチャチャンチャラチャッチャッ」の音楽が鳴ったらワクワクし、オープニングにおけるいかりや長介の「おいーす!」やエンディングの加藤茶による「歯磨けよ!」を見て楽しさを感じていたものの、月曜日に学校に行くとその気持ちは粉砕されるのである。

 そして、いつだかは分からないのだが、学校給食で牛乳を入れたピラフのような「タケちゃんマンライス」なるメニューが登場した。子供達になんとか栄養のあるものを食べてもらいたい、という工夫からネーミングを「タケちゃんマン」にしたのだろうが、『ひょうきん族』をテレビの台数の関係から見ることのできなかった私はこの瞬間、明確な敗北感を覚えた。

そして、破竹の勢いを続ける『ひょうきん族』により『全員集合』は視聴率低下となり、終了するのだが『ひょうきん族』の天下も長くは続かない。TBSがドリフターズの人気者ツートップである加藤茶と志村けんだけを入れた『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を繰り出して『ひょうきん族』から視聴率を見事に奪ったのであった。これも栄枯盛衰だ。


こうして「ダサい」「ナウい」の象徴となった2番組だが、いずれにしても両方とも昭和史に燦然と残るバラエティ番組であり、今の時代のテレビに多大なる影響を与えたことは間違いない。

ちなみに故・ナンシー関は「すべてのものに『だョ!』とつけるとふざけて見える」というコラム史に輝く法則を発見している。いくら真面目な番組であろうが、『クローズアップ現代だョ!』『報道ステーションだョ!』『おとなの基礎英語だョ!』『NHKニュース9だョ!』『おんな城主 直虎だョ!』となれば、いずれもフザけた番組に見えてしまう。さすがのナンシーの慧眼である。


文◎中川淳一郎

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