中川淳一郎の俺の昭和史

【小学生のお小遣い】瓶ジュースの瓶を返すと10円くれた時代|中川淳一郎・連載『オレの昭和史』第四回

2017年12月19日 

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binbeer.jpgペットボトルが主流となった現在、栓抜きは不必要になっていった


缶のジュースは高級品だったのだ

今の時代、ジュースといえばペットボトルと缶と紙パックに入っているのが主流だろう。飲食店のコーラやサイダー、そしてデカビタCやオロナミンCなどは今でも瓶のままだが、瓶はマイナーである。だが、現在の40代中盤が小学生だった1970年代後半~1980年代中盤頃、瓶のジュースが当たり前だったのである。

当時からHI-Cやコカ・コーラ、スプライト、ファンタなどはあったが缶ジュースは250ml入りで100円か90円だった。しかし、瓶で買うとやけに安かったのである。
当時、コカ・コーラの自販機はお金を入れて瓶を引き抜くタイプのものが案外多かった。500mlは110円、1リットルは200円だった。その金額を投入すると瓶を引き抜くことができるのである。そして、自販機に設置された栓抜きで王冠を開ける。2倍の量が入っているのに10円しか違わないため、当時の子供達は瓶の自販機の設置場所を共有し合っていた。

また、当時はコカ・コーラ社の瓶ジュースよりも安い「チェリオ」製の瓶ジュースも重宝されていた。量は300mlほどだったが、値段は60円~80円の間だったのではないか。とにかく缶ジュースは高級品だったのである。 


こうして当時の子供達は"へそくり"をこさえていった

当時の王冠には当たりくじ付きもあった。王冠の裏にプラスチック製のツマミがついており、王冠の表面を隠す蓋のようなものだった。これを外すとスーパーカーの絵が出てきたり、10円や50円、100円が当たることもあった。

その後、300mlのダルマのような形をした瓶が隆盛となる。これは100円である。缶ジュースよりも50ml多いため、こちらも人気だった。12月2日に終了したヤフオク!では、「昭和レトロ ファンタ フルーツパンチ ダルマ瓶 未開封」に11件の入札があり、6500円で落札されている。それだけ懐かしいと思う人がいたのだろう。それよりも、よくぞ未開封で30年以上前の瓶ジュースを持っている人がいるものだ。


これらの瓶ジュースが子供達に人気が高かった理由は量の多さだけではない。300mlのものはさておき、瓶を店に返すとお金がもらえたのだ。コカ・コーラ社の500ml瓶の場合は10円、1リットル瓶は30円である。だから内容物の価格は実質100円と170円ということになる。

さて、こうなると子供達は「瓶を拾えばカネがもらえる」と考える。私が住んでいた地域は決してガラが良いエリアではなかったということも影響しているのかどうかは知らないが、飲食店等の裏に置いてあるこれらの瓶を持って酒屋で換金する不埒者もいたのである。

子供達に優しい店はこれが盗品であることは知りつつも返金してくれていた。ただし、子供達も1店舗で大量に換金するようなことはなく、何軒かの酒屋やスーパーを訪れて換金するという妙な配慮なのか、バレないための保身なのか、ある程度気を遣ってはいた。

何軒かを回って獲得した50円~100円ほどを使って駄菓子屋で"豪遊"するのである。カップのベビースターラーメンが60円だったのだが、これにお湯を入れてを食べ、10~20円ほどでデザートを食べる。これがゴールデンコースとなっていた。今考えればこれらの行為は補導案件だろうが、皆、気にせず瓶を換金していたのである。


なお、当時は酒屋でも冷蔵庫の数が足りていなかったのか、ビールには「冷やし賃」がかけられていた。私の住んでいたエリアの酒屋では1本5円であり、20本入りの1ケースを頼んだ場合、「2本冷やしたのを入れといて」と注文をすると10円多く払うのである。


文◎中川淳一郎

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