朗読詩人 成宮アイコ 傷つかない人間なんていると思うなよ

同世代に会わないように、イトーヨーカドーの紳士服売り場のトイレの前の白いベンチに座っていたわたしへ|成宮アイコ・連載

2018年07月04日 イトーヨーカドー スーパー メンタルヘルス 取り残され 成宮アイコ 生きづらさ

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定期的にくる「やばい! 取り残されている」という波

 絶対地雷だろうな、と思いながら買った新発売の缶ジュースを片手に、スマホアプリに、「20時 改札待ち合わせ」と書いてふと思いました。大人になると遊ぶ約束の時間が遅くなります。夕方から会う約束をすることが普通になったのは、何歳からだったか思い出せません。

 定期的に、かつて『有名ネトア』(※ネットアイドル)と呼ばれたひとのブログを読みに行きます。そこには、自動販売機に出かけて新しいジュースを買うこと、クロスワードパズルや、ゲームのキャラクターのこと、そして、わたしもかつて読んでいたハムスターの雑誌のことが書かれています。ピンクの背景に、女の子らしいレースや、デフォルメされすぎた動物キャラがちりばめられているそのサイトを開くと、なんだか眩しい思い出のような、少し切ない気持ちとともに癒されるのです。

 ほんとうはいつまでも、名前すらないような適当な動物のキャラクターの福袋を買っていたい。そこに入っている文房具や貯金箱に喜んだりしたい。いちごやりんごの絵と、ラメが埋め込まれている透明の定規を買いたいし、アイスクリームの匂いのティッシュを集めたい。午前中からゲームをするために集まりたいし、幾何学なもようが書ける文房具で遊びたい。
 いまだに、新しく仲良しになったひとには、「DS持ってる? マリオカート対戦しようよ!」と言ってしまいます。

 小学生の頃と趣味がほとんど変化しなかったわたしは、すごく気をつけていないと、時間から取り残されてしまう気がします。スーパーの片隅にある衣料品コーナーで服を買っていたいし、100均のマスカラを使っているけど、デパコスのカウンターにも行きたいし、ハッピアワーのスカイラウンジにも行きたい。だけど、どうせ何をしても自分だけが垢抜けなくて、自分だけが世界でいちばんダサい、という気持ちに飲まれることがあります。

 冷静なときは、だからどうしたと思えるのですが、気分が落ち込み気味のときは、なぜかそれだけでパニック状態になります。どう考えても、自分の好きなようにしたらそれでいいのですが、定期的にくる「やばい! 取り残されている」という波は強烈で、小学校の屋上の階段に小さくなって座って、指でパリパリと剥げるあの壁をめくっていたい気分にさせるのです。

 地雷とわかりながら買った新発売の缶ジュースは、やっぱりおいしくなくて、「これめっちゃまずい」と笑いました。

思えば、学生時代も同じような悩みをもっていた

 帰省をすると、必ず行く場所があります。
 イトーヨーカドーです。

 そこは、一番上の階に大きめのレストラン(というより食堂)と、カルチャーセンターが入っていました。定番の英会話などの語学教室やダンスレッスンの他に、カゴを編む教室、携帯電話の使い方教室など年配の方向けの教室も多くあったので、館内はいつも賑わっていました。

 一階にはピーコックと一緒にコーヒースタンドがあり、お店の人と常連のお客さんがカウンター越しに盛り上がっています。ナスの漬け方の話しや、孫の写真の見せ合い、町内の旅行の行き先相談。まるで地区センターのようでした。

 学校にあまり馴染めなかったわたしは、学校に行くふりをしてたびたびイトーヨーカドーへ向かいました。
 デパートや図書館やカフェなどは、同世代の子に会う可能性が高かったので行けません。

 まわりに馴染もうとして、日焼けサロンに通ってギャルになってみたり、前髪をまっすぐに切って十字架モチーフをつけてバンギャになろうとしてみたり、小花柄スカートにリネンのシャツを着てほっこり系を装ってみたり、いろいろと試みたのですが、いかんせん声コンプレックスが強く人と会話が続かないため、親しい友人はできませんでした。見た目だけ何かのジャンルに寄せてみても、中身が伴わなければ意味がなかったようです。(このころのお話しは「生きづらいから黒ギャルかバンギャになろうとした結果、蛭子能収さんに救われたお話」というコラムに書いています)

 ひとりぼっちでいるということは、制服を着ていたころのわたしにとって、とても恥ずかしいことでした。一緒にトイレに行く人がいないこと、移動教室、体育のふたりぐみを作るとき、放課後、とにかく、ひとりでいることを同世代に見られたくない。その一心で人を避けまくりました。

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 そこで、見つけたのがイトーヨーカドーでした。

 紳士服の階に行けば、ますます同世代と遭遇する可能性は落ちます。トイレの前には肌着売り場が配置されていて、階段には白いプラスチックのベンチが置いてありました。そのベンチに座って、タンクトップやももひきを眺めます。
 ここには、新しくCMで流れていたコスメを買っていなくても、恋バナができなくても、カバンにアニメのキーホルダーをつけていても、誰も虐げるひとはいません。安らかな気持ちになります。

 そのベンチに並んで座った知らないおじいちゃんやおばあちゃんから、よく話しかけられました。マフラーの色を褒められたり、携帯の待ち受けを設定してあげたり、ときには、イートインで買った大判焼きをわけてもらったりもしました。
 「あら学校はおやすみなの?」と聞かれたこともあります。制服のわたしが黙ってしまうと、おばあちゃんはハッとしたように、自分が通っているカルチャースクールの話しをして、黒飴をくれました。

 あのベンチの上では、わたしの受け答えが下手でも、声が変でも、おばあちゃんたちはなにも気にしません。そもそも話す相手は誰でもいいのです。わたしでもわたしじゃなくてもいい。お互いが、「話し相手」になるだけ。それはとても気持ちを楽にさせました。

 マリオンクレープよりも、ピーコックの大判焼きが、そして、イトーヨーカドーがわたしの青春でした。

この大人たちは10代のときにどうしていたのか

 運がいいことに、学校の外では居心地の良い場所がいくつかありました。
 声にコンプレックスがあってうまく話せないせいか、言葉が嫌いだったので、言葉のないテクノミュージックばかり聴いていました。そのうち、ネットを通して同じ音楽が好きな人たちと知り合い、遊びに行くようになりました。当時はクラブのIDチェックがゆるく、17歳でも簡単にもぐりこめていたのです。パーティーのイベントスタッフになり、DJをしたこともありました。

 学校では、いてもいなくてもわからないモブキャラでしたが、そこで仲良くなった大人たちは、わたしのことを名前で呼んでくれたので、わたしは自分が存在しているんだなとバカげたことを思いました。名前を呼ぶということは、たぶん、とても意味があるのです。
 このひとたちも10代はたいへんだったのかなぁ、わたしと仲良くしてくれるくらいだから学生時代はなじめなかったのかなぁ、どんな仕事をして職場ではどんな風にまわりの人と話すのかなぁ、と思いましたが、どれも聞きませんでした。

 高校の卒業式、卒業パーティーの話題で賑わう下駄箱の前、わたしは誰にも話しかけも話しかけられもせず、学校を出ました。かわいいことで有名な制服だけは気に入っていたので、このリボンをつけるのも最後だなとさみしく思いながらイトーヨーカドーに向かいます。白いベンチで卒業証書を広げていると、大人たちからお祝いメールがたくさん届きました。
 学校では最後までモブキャラでしたが、持ち物や服装が同世代の感覚でダサいかどうかで判断されず、自分でいられるということがありがたくて、落し物の館内放送を聞きながら、「自分、頑張ったな」と思いました。

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そして、あなたに教えてほしいことがある

 いざ大人になってしまうと、自分と同じように、取り残されてしまった(と感じている)側の同世代にたくさん出会います。
 自分もふくめ、このひとたちは学生時代いったいどこにいたのでしょう。少なくても学校の中では、出会えませんでした。けれど、「あなたも!?」という出会いがあるたびに、RPGのダンジョンで隠し宝箱を見つけたような気持ちがします。...隠し宝箱にしては割合が高いですが。

 年下のひとと話すとき、今の自分は、「あの大人たち」になっていたらいいなと思います。大人になってもそうそう変われないから、無理しすぎないほうがいいよ。あと、似たような人が案外たくさんいるから心配しすぎなくていいよ。なんとなくの会話の中で、できるだけなんとなく、そう言っていたいのです。

 先日、買い物をしていたら、急にまたあの波が来て、「自分なんかがファッションビルにいてはいけない」という劣等感にやられてしまい、友だちに、「自分だけ変われないでいる気がしてつらい」とLINEをしたら、「いつまでも、かわいいものが好きなわたしたちでいましょう」と返事が来て、画面を見ながら泣いてしまいました。
 その後、ハイボールを飲みながら、スマホ版ではなくDSの『とびだせ どうぶつの森』の話しと、サンリオ人気投票の話しをしました。行ってみたいデパコスの話しもしました。いつか、一緒に行けたらいいなと思います。

 気持ちを優しくしてくれる安心安全な古いスーパーも、ちょっと気合いを入れて出かける場所も、人生には両方あっていいのです。

 駄菓子のようなパッケージの缶ジュースにわくわくしたり、スーパーの片隅で売っている何年も変わらないような見覚えのある柄のパジャマを買ったり、動物の雑誌を買っても、ラメ入り定規を使ってもいい。
 その帰りに、背伸びをしたお店でお酒を飲んだっていいし、洋服を買うのに、買ってはいけないひとなんていません。嫌になって逃げてしまっても、またイトーヨーカドーに戻ればいい。馴染めなくなったら別の場所に移動をして、そのときの自分に合うものを選んでいればいい。

 心の中には、いつも制服を着ていたころの所在ない自分がいます。イトーヨーカドーのベンチには、あのころの自分の亡霊がいるような気もします。
 同じように、心の中にいつかの自分を持て余している人に出会うたびに、再会をしたような懐かしい気持ちになります。そして、こう聞きたくなるのです。

 「あなたにもイトーヨーカドーのベンチのような場所、ありましたか?」

(成宮アイコ・連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』第十七回)

文◎成宮アイコ
https://twitter.com/aico_narumiya

赤い紙に書いた詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。
朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ全国で興行。
生きづらさや社会問題に対する赤裸々な言動により
たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと決めている。
2017年9月「あなたとわたしのドキュメンタリー」(書肆侃侃房)刊行。

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