今年は暑い。「千年猛暑」だという。
そのせいか、日本列島に異変がおきている。
「丸源ラーメン」の10代女性アルバイト店員が冷凍庫内でソーセージ3本をくわえた画像をツイッターに投稿したのをきっかけに、ステーキレストラン「ブロンコビリー」東京・足立梅島店では、10代男性アルバイトが冷凍庫に入った。
他にも、コンビニのアイス用冷凍庫や弁当店の冷蔵庫にも店員が続々と入っている。
すべて太陽が眩しいせいだ。
炎天下の甲子園での高校球児の熱闘を、エアコンの効いた部屋でビールを飲みながらテレビ観戦するのは大人のたしなみのひとつだが、若者も我慢できずに快楽に走ったのが2013年の夏と後々まで記憶されよう。
そんななか、ツイッターを見ていたら友人の衝撃的なつぶやきが写真付きであった。
『団体に所属してて冷蔵庫に入って写真をSNSに晒しても問題にならない人』(@ningendojo 8月12日 )
写真を見ると、明らかに人が「冷蔵庫」に入っている。しかも若者ではなく、おじさんだ。
私はさっそく調査を開始した。
その男はズバリ、「冷蔵庫マン」という芸人だった。
真っ白に塗った段ボールを上半身にかぶり、自分を「冷蔵庫」に見立てている。そしてダジャレを連発する芸風だった。例を挙げる。
【冷蔵庫ジョーク・冷やし中華編】
「あ~冷やし中華食べると身体の力が抜けて気持ちいい~」
「あのさあ、」
「今話しかけないで!」
「ひーっ!癒し中か!(冷やし中華!)」
男は会場の空気が凍り付いたあと、「さ~むい!ヒエ(冷え)、ヒエ、ヒエ~」と高いテンションで叫びながら次の冷蔵庫ジョークにうつる。
「お笑いライブを冷やしに来てやったぜ!」と叫ぶその男は、なんとオバマと同い年の52歳。
冷 蔵庫マンこと飯塚俊太郎は昭和36年5月2日に千葉県野田市に生まれた。学生時代は人気者だったが大学受験で初めて挫折。14校を受験してすべて不合格。 世間では受験生の自殺が深刻な問題になっていた頃だ。暗い部屋で落ち込んでいた飯塚がやっと電気をつけたとき、父親に初めて励まされた。
「俊太郎、好きな ことをやれ」
父親の許しを得た飯塚は役者の夢に突き進む。文学座(附属演劇研究所本科)を受験したら1000人の中から60人の研究生のひとりとして合格してしまった。
しかし誰からも絶対大丈夫と言われていた卒業試験に落ちてしまう。ショックの飯塚は自宅で一週間寝込んだら歩行困難になり、驚くことに本当に寝たきり生活になってしまったという。退院後、もう親に心配をかけたくないと考えた飯塚は地元の会社に入社。芝居をきっぱり辞めた。
仕事に慣れサラリーマン生活を満喫していたある日、飯塚は父親に呼ばれた。「今のお前の顔は生き生きとしていない。俊太郎、もう一度芸能界に戻れ」。
まさかの父親の二度目の言葉で飯塚は上京し32歳で「ワハハ本舗」に入団した。
「冷蔵庫マン誕生」は、ある日稽古場にあった段ボールを見て子どもの頃の空想好きの延長で冷蔵庫に改造した。それをすっぽりかぶり、寒いダジャレを連発する芸を思いついたという。基本は「バットマン誕生」と同じエピソードである。
「今回の冷蔵庫や冷凍庫に入る騒動でご自身に何か影響がありましたか?」と尋ねてみた。
「"冷蔵庫に入っていいのは冷蔵庫マンだけ!"と応援されました。ボク自身は寒いのにファンの方は温かい人が多いんです」
最後に何か言いたいことはありますか?
「『アメトーーク!』の「家電芸人」のときもオレは本物の家電芸人なのに声がかからなかった。今度は高校生が冷蔵庫に入って話題らしいけど、オレは冷蔵庫に入ってもう9年だよ!」
「冷蔵庫に入って写真をSNSに晒しても問題にならない人」、冷蔵庫マンは確かに実在した。
意外と熱い人だった。
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Written Photo by プチ鹿島