「政治家・橋下徹とは何だったのか?」と聞かれたら「民主主義が好きだった人」と答えればよいのだろうか。
思えば選挙が好きな人だった。とにかく「じゃぁ投票で決めようじゃないか」という決断をした。民主主義大好きで、何より、自分は選挙に投票する大衆に愛されているという自信に満ちていた。
今回も「橋下氏は、維新だけで制度案を作成し、市議会の十分な議論がないまま住民投票に持ち込んだ。この強引な手法も批判を招いた。」(読売新聞)と書かれたが、橋下氏からすれば直接有権者に意見を聞いて何が悪いという思いがあるはずだ。
「じゃぁ投票で決めようじゃないか」は、他で例えるなら「じゃぁ表に出ろ」という、腕っぷしに自信がある男の殺し文句に似ている。それは少々下品な例えであるというなら、「じゃぁ出るとこに出ようじゃないか」という決め台詞に似ている。果たして、橋下氏は「出るとこに出たところ」で身を立てていた弁護士だった。自分の正しさを言うだけ言ったら、あとは「判決」を待つ。敵と自分、どちらを選ぶのかをオープンに問う。
橋下徹が改革者か破壊者かはわからない。しかし白日の下での民主主義が大好きだったことは確かだ。
それは今回の大阪都構想での住民投票の敗北を受けての会見で「日本の民主主義を相当レベルアップさせたと思う」と笑顔で述べていたことでもわかる。あれは強がりだという人もいるが、私は本心だと思う。言葉は悪いが「民主主義バカ」としては、壮大なる民主主義に殉じることができて幸せだなのだと思う。
さて今回の橋下敗北を、わかりやすく他の案件で例えるなら何だろう。自分の哲学に殉じて死を選んだという、ソクラテスを持ち出したらかっこよすぎか。よく言われているのは同じ「ハシモト」という呼び名から、かつての「橋本真也 小川直也に負けたら即引退スペシャル」だ。
私も昨年2月に「出直し市長選挙」をきいたとき、『橋下市長が「破れれば政界引退」選挙をやるらしいが、プロレス界では「橋本真也、負けたら即引退スペシャル」をとっくにやってる。』と思わずツイートしてしまった。でも今回の敗北後の橋下氏の記者会見をみて、同じレスラーで例えるなら船木誠勝VSヒクソン・グレイシーの試合(2000年5月)だと思いなおした。
あの試合、船木は負けた直後に「15年間、どうもありがとうございました!」と挨拶して去って行った。引退宣言である。私は現場で見ていて「もしかしたら船木はこのラストをどこか望んでいたのではないか」と感じた。もちろん勝利は目指したが、この相手、この大きな場所で「死ぬ」ことができたら本望という船木独特の美意識。あの日と同じ匂いを今回の橋下市長に感じた。
それが証拠に「幸せな7年半だった」と橋下市長は会見で晴れやかに語った。どうも民主主義で「死ねた」ことにうっとりしていたのだ。この大きな舞台で。そういう意味では今回の橋下市長はソクラテスより橋本真也より、船木なのかなぁ。
ちなみに。
ソクラテスはそのまま死んだが、船木誠勝は7年後に復帰した。
Written by プチ鹿島
Photo by 橋下徹公式サイトより引用
プチ鹿島●時事芸人。オフィス北野所属。◆TBSラジオ「東京ポッド許可局」◆TBSラジオ「荒川強啓ディ・キャッチ!」◆YBSラジオ「はみだし しゃべくりラジオキックス」◆NHKラジオ第一「午後のまりやーじゅ」◆書籍「うそ社説 2~時事芸人~」◆WEB本の雑誌メルマガ ◆連載コラム「宝島」「東スポWeb」「KAMINOGE」「映画野郎」「CIRCUS MAX 」
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