よく、「ケンちゃんらーめんはいつまで新発売なんだろうか」と言われる。それなら私も不思議なことがある。「乙武クンはいつまでクン付けで呼ばれるのだろうか」問題である。
乙武クンとは乙武洋匡氏のことだ。現在不倫スキャンダルで渦中の人。そのあと妻が謝っちゃったりして事後の対応にも批判が殺到している。私が気になったのは記事の見出しの表現だ。
『一夫一婦制では不満足 「乙武クン」5人との不倫』(週刊新潮・3月31日号)。
乙武洋匡氏は39歳。どう考えてもクン付けが似合う年齢ではない。ではなぜいまだにクン付けなのだろう。以前からの慣れで親しみを込めて「乙武クン」と呼んでいるのだろうか。いや、今回私はスキャンダルの見出しでさえ「クン付け」であることに意味を感じてしまうのだ。
ふつう誰かをクンと呼ぶときは後輩か格下だ。オヤジジャーナルにとって乙武氏は後輩ではないから格下意識があるということになる。
でも乙武氏は、今回の件でもわかるようにモテて、頭もよく、おそらく稼ぎもよいだろうから、ふつうの大人からすれば格下でもなんでもない。ふつうの大人とちがう面があるとすれば「五体不満足」なことだ。でもそれは格下とは言わない。そこに優位性を感じて執拗にクン付けするなら、それは不条理な格下扱いである。差別と不条理はだいたいイコールだ。
たとえば今回の件で「乙武、足元をすくわれたな」とか「乙武、口八丁手八丁だな」と目の前で茶化したら乙武氏本人も笑ってくれるかもしれない(というか、本人がいつか言いそうだ)。
しかし、何があっても「乙武クン」と呼ぶ行為に関しては、本人は内心どう思っているだろう。そしてもっとも重要な点は「クン付け」がカタカナであることだ。乙武君ではなく乙武クン。これは非常に大きい。
というのもオヤジジャーナルでの「クン付け」は、実はおなじみの呼称であるのだ。おもにそれは若い女に対する呼称としてよく表現される。女優や女性有名人のことを書くとき(とくに何かツッコミの対象になったとき)に、伝統的にオヤジジャーナルは「クン付け」で記事を書くのである。たとえば「〇〇クン、お遊びがすぎるのも気をつけて」的な用法である。
この用法は本当に不思議で謎なのだが、読み手からするとオヤジの上から目線を感じる。相手にされてないのに、笑顔で小馬鹿にしながら上に立とうとする妙な心理を感じるのだ。あえていうなら、オヤジによる「女・子ども扱い」である。
今回の乙武氏の不倫スキャンダルは、こうしたオヤジ心理が付け入る隙をじゅうぶんに与えた話題だった。「乙武氏不倫」という表現ではイヤだったのだろう。ここでこそ「乙武クン」でなければならなかったのだ。オヤジによる渾身の「クン付け」であったのである。
スキャンダル記事での「乙武クン」表現は根が深いと思う。
Written by プチ鹿島
Photo by 五体不満足
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