先月「田舎のプロレス」という言葉が話題になった。
萩生田光一・官房副長官が国会の野党の姿勢について「強行採決なんてのは、あり得ない。審議が終わって、邪魔をする人たちがいるだけ。田舎のプロレスと言ったらプロレスの人に怒られるが、ここでロープに投げたら返ってきて、空手チョップで一回倒れて、みたいな茶番だと思う」と言ったのだ。
「国会の茶番をプロレスにたとえてしまう問題」については、2年前に拙著「教養としてのプロレス」の「まえがき」でまっ先に書いている。相変わらずで残念。
その一方で「プロレスは最高なんです!」という過剰な反応も気になった。
私は「最高のプロレス」もあれば「最低のプロレス」もあると思っている。それは「最高のラーメン」もあれば「最低のラーメン」もあるのと同じ文脈だ。ごくふつうのこと。
たとえば「本当に最低のプロレスだな」と怒りがこみ上げてきたのが「海賊男」だった。
80年代後半の新日本プロレスに、ホッケーマスクを被った謎の人物がちょいちょい乱入して試合をぶち壊したのだ。
興行を盛り上げるための仕掛けだったのだろうが、遂には大阪城ホールでおこなわれた「アントニオ猪木vsマサ斎藤」戦(1987年3月26日)にも乱入し、納得できない観客たちは試合後に暴動を起こした。
この日は古舘伊知郎アナのプロレス中継卒業でもあったので、テレビを観ていた私も心底腹が立った。古舘アナの最後の担当試合がこんな最低のプロレスだなんて......と。
あれから29年たった先日の12月2日。
大阪でマサ斎藤を励ます興行がおこなわれた。実はいまマサ斎藤さんはパーキンソン病と闘っていて、話すこともうまくできない。立っているのもやっと。しかし気丈にもマサ斎藤はリングで挨拶をはじめた。ゆっくりと、ゆっくりと。
現場で観戦したプロレス・格闘技ライターの堀江ガンツ氏によると、リング下のレスラーは中腰。「マサさんが転倒しそうになったらすぐに助けられるように」という配慮からだ。
このセレモニーの様子は動画で撮影OKだった。病気と闘うマサさんの姿を1人でも多くの人に、という主催側の思いだったのだろう。
動画をみていると、突然「マサ斎藤!」と叫びながら、あの海賊男が乱入してきた。
そして、立っているのもやっとのマサ斎藤に蹴りを入れた。
驚いたのはこのあと。マサ斎藤は必死に、自力で立ち上がるのだ。そして反撃に転じようとする。
その動きは、挨拶のときよりもあきらかに早くなっている。体は覚えているのだ。本能で闘っている。海賊男がマスクをとると、武藤敬司だった。大先輩のために駆け付けたのだ。2人は抱き合った。
最低のプロレスだと思っていた「海賊男とマサ斎藤」のエピソードが、最高のプロレスに変わった瞬間である。
タメが長い分、感動を生む。
プロレスを長く見続けていると「無駄なものに思えるものも、決して無駄ではない」とつくづく教えられる。あの最低エピソードでさえ、こうして昇華した。
だから、国会の茶番なんかと一緒にしないでほしい。あそこは最低のエピソードしかないではないか。
Written by プチ鹿島
Photo by プロレス「監獄固め」血風録―アメリカを制覇した大和魂
【関連記事】
●ドナルド・トランプ、大切なことはすべてプロレスで学んだ|プチ鹿島の余計な下世話!
●豊洲問題の元凶はやっぱり"石原元都知事説"を追う|プチ鹿島の余計な下世話!
●かつての"首相候補"加藤紘一氏の死去で自民党ハト派が絶滅危惧種に!?|プチ鹿島の余計な下世話!