アルバム『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする』
ドラマーで俳優の中村達也が「仲間に失言されて腹が立った」との理由で男性客を蹴った疑いで書類送検された......というニュースは小室哲哉の引退宣言でもうすっかり忘れられつつあるわけですが、本人のキャラクターが世間に浸透していたせいかネット上では「タツヤらしいなー」「その男性客が命知らずで馬鹿なだけ」「蹴られてうらやましい」的な感想ばかりだったのは、さすがだと思いました。
ボクが中村達也を初めて取材したのは、99年に『BURST』(コアマガジン)という不良雑誌で行われた伝説の自主盤レーベル・ADKレコードの座談会のとき。
日本のパンクレジェンドが大勢集まる会合をまだ20代だったボクが仕切ることになって人生最大級のプレッシャーを感じる中、当時ブランキー・ジェット・シティで大メジャーだった中村達也が、いまの基準だと完全にアウトな話ばかり呑気に繰り返していたのを、いまでもよく覚えてます。
なにしろ、「あの頃は楽しかった」って感じで盛り上がるエピソードが、
「ああ~っ! 大塚の駅前で一斗缶のG17ってボンドを皆で吸ったときか(笑)」(タツヤ)
「タツヤと1回、シンナー盗みに行ったことあるやん。2人で。で、駅前で皮ジャンに入れてたら、前からポリが二人来て(笑)」(卑龍)
「それがまた、こんなでっかい缶のやつでさぁ(笑)。すっげえマズいやつだったの。『こんなもん全然こんぞ』とか言いながら歯ぁ食いしばって吸ったなぁ(笑)」(タツヤ)
とか、そんなのばかり。 主な話題がボンドやシンナー、窃盗、そして喧嘩なんですよ!
「あの頃、すっげぇ調子乗ってたからさぁ。東京怖ぇとかビビリながらも 」(タツヤ)
「そういやぁ、タツヤとヤクザの事務所に殴り込み行ったよな。ギターの奴が原宿で絡まれて2万取られたいうから、『そんなんブチ殺しに行こうぜ!』って、タツヤのバイクの後ろにワンタン乗せて。宝石店を装ったヤクザの事務所やったんや。やけに身構えてんねん(笑)。『ウチのギターが来たやろ!』言うたら『いや、もう出ていかれました』って。もう金還して貰って出ていってんねん」(ケイゴ)
「俺、そんとき一階下ぐらいで待っとったもん、後ずさりしとって 」(タツヤ)
つまり、昔からヤクザの事務所にだって殴り込みに行っちゃうようなタイプなんだから、男性客ぐらい蹴り飛ばすに決まってるわけですよ。
ちなみにブランキー加入の経緯についても語っていて、実は結成当時って中村達也はメンバーじゃなかったんですよね。
「俺が一応マネージャーだったんだよ。家でラリって寝とるだけだけど(笑)。ほんでベンジーが『タツヤ、ドラムやってくれへん?』って言ったもんで、『いいよ』って」 (タツヤ)
「それがなかったら、タツヤもいまだにシンナー吸ってたと思うよ(笑)」(タツシ)
「27歳までシンナー吸ってたもん(笑)」 (タツヤ)
「シンナーは基本形やからな(笑)」(卑龍)
「でも、シンナーは止めた方がいいよ。おれもケンヂに精神病院連れてかれたよ(笑)」 (タツヤ)
こんなエピソードが全部そのまま誌面に掲載されていた奇跡! いまから20年近く前、20世紀はまだ出版界のルールもいまより緩かったんだなと改めて痛感しました! これが全部大丈夫だと思って原稿にするボクも、それをそのまま載せる編集部も、それが問題にならない世の中もどうかしていたけど、本当に平和な時代でした!
文◎吉田豪
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