えらい目に遭いました。7月9日の夕方からほぼ24時間にわたっての出来事です。すべては新橋駅烏森口周辺の、ほんの半径約200メートルの中で起こっていたと後日の調査でわかりました。
新橋を飲み歩くのは初めてでした。その火曜日。某週刊誌の編集長と打ち合わせのため、出版社のある新橋に向かいました。駅前のSL前で会って、夕方6時から深夜まで計4軒もバーやスナックで接待されたのです。僕はハシゴ酒はせいぜい2軒が限度。3軒目の途中から記憶が飛び飛びです。終電車がなくなったので編集長がクルマ代にと一万円札をくれたのを憶えています。
次の記憶は、どこかのビルの床。仰向けになって中国人娘にフェラチオされていた。編集長によると当夜僕はタクシー乗り場で彼を先の車に乗せ「次のタクシーで帰る」と告げたらしい。それが、薄暗い部屋でフェラされている。中国人娘に声をかけられてついて行ったようだ。その理由は、もちろん可愛らしかったからだろうけど、原稿仕事をもらえた、タクシー代までもらえた、ラッキー、と浮かれていたからであろう。
フェラの途中でしかし、
「時間よ」
といって止められた。「えー?」と言ったとは思うのだが憶えていない。万札を渡し、さらに近くのコンビニでVISAのクレジットカードで1万円をおろして女の子に渡したようだ。記憶はない。記録にそうあった。
フェラ中断から意識は暗転。次の瞬間、場所は中国系のパブ。おいおい、4軒も飲んでへべれけのワイがなんでそんな店に居るねん? 先の中国人風俗嬢だけでなく数人の中国人娘に囲まれていた、自分は絶対にもう一滴も飲めるはずがない。
「あ、君、広東語喋れるの?」
どの娘だかとテンション上がって広東語を喋った記憶がある。なにしろ香港マニアですので。
「幾らなの?」とレジ係のホストっぽい青年に聞くと「5万」と言われ、やられたッ、と思いつつ従いVISAカードで清算。カードを渡してから戻ってくるまでの時間が長く、警戒心からたしかに「カードはまだ?」と一度声に出した。
財布に入っていた支払い明細を翌日見ると、それが明け方の3時台。
次の記憶はもう空は明るくなっていて、公園のような場所の植え込みの縁に僕は座っている。件の風俗嬢がアサヒのスーパードライ缶を無理やり僕の口に当てて飲ませているではないか! 童顔とポニーテールの可愛いコだ。彼女が右側。もう一人、短髪の背の高い般若のような顔した娘が左側に。パブを出て、このコンビと新橋を徘徊していた。レシートを見ると2カ所のコンビニで彼女らにお菓子や化粧品を奢ってあげたことがわかったが、「アサヒスーパードライ缶」は記されていない。
ポニーテールと腕を組んで歩いていた。般若が缶ビールを買って合流したとの線が有力だ。
なぜワイは帰らんかったの? フェラで抜いてもらえず、パブで5万もぼったくられた、もう何としててもポニーテール娘とセックスしなきゃ気が済まん、と思っていたに違いない。記憶の中。娘は道中「この部屋でしよう?」と僕をけしかけた。どう見てもただの雑居ビルの一室のドア前。恐怖心と警戒心から「ダメダメこんなとこは」とはっきり拒絶。振り返ると般若がピタッと張りついていたのでさらに怖い。
ポニーテールに僕は言った。
「君の部屋に行こう、どこに住んでるの?」
「船橋」
この会話と、万札の束をコンビニで般若娘にひったくられたのか渡したのか微妙な受け渡しの手の感触、これが最後の記憶です。それが朝の6時台。
次の記憶は昼の12時台。山手線の車内。原宿駅で目がさめた。半日も山手線だけでぐるぐる回って眠っていたのか? 猛烈な吐き気を催して駅のトイレで吐いた。黄金色のビールばかり大量に出てきた。なんて量なんだ。そこで再び記憶は途絶え、次は夜の7時。起きるとそこは中野区の自室のベッドだった。おお、ちゃんと帰っていた。生還した。財布も、iPhoneも、あった。
しかし、インターネットで銀行口座の取引明細を見て愕然。朝の6時台に2軒のコンビニで、娘たちにあれこれ買い与えていただけでなく、銀行のキャッシュカードで20万円を4回に分けておろしていた。計80万円。すぐに編集長に電話で告げたところ「ロレツが回ってない」との指摘。たしかに。一時期常用していた睡眠薬「ハルシオン」とアルコールを併用した翌日に近い状態だ。
眠剤をアルコールとともに服用すると必ず出る症状「健忘」の中であのコたちにお金をおろしては渡していたとしか思えない。酒だけに酔って計80万円を渡すなどの蛮行は自分の性格上ありえない。スーパードライに睡眠薬、の線が濃厚だ。ネットで調べたら「自白剤」というものもあの人たちは用いるらしい。
僕はナンバーTシャツを着ていた。その日の背番号は「25」だった。
「特にナンバーTシャツなどは目印になりやすいから捕まえるのが簡単。万引きするのなら着ないほうがいいですよ」
こう言ったのは以前インタビューさせてもらった万引きGメンの伊東ゆう氏だったが、新橋で編集長と酒飲む用件ですもんそりゃあ普通に着ます。
般若やポニーテールらは「25番」と僕を呼んでマークしていたのかも知れない。尾行もたやすかったろう。「簡単にカモれそうなカモ発見。千鳥足の背番号25なう」とでもツイートを残す日本のシロートではなかろう。
木曜になって、新橋を管轄する愛宕警察書に電話をかけた。よくある案件のようで、淀みなくおじさんはこう言った。
「コンビニの防犯カメラにはあなたしか映っていないと思います。カードの暗証番号を知ってるのはあなただけでしょ? あなたが女の子にお金をあげたことになる。現状、被害届けの受理は無理です」
その前に、VISAのカード会社に真っ先に電話をかけた。率直に「5万円ぼったくられた。払いたくないのだが」と。あと、スキミングされたかも知れないので、カードを作り直す手続きをした。後日電話で連絡があった。まず、フェラ未遂直後に1万円をおろした件は、
「コンビニの防犯カメラの映像を見ました。お客さま(僕のこと)しか映っていないですね」
ぼったくりパブ(あえて呼ぶぞ)の支払いも、契約が成立している、尿検査をすぐやって薬物でも出てきた場合でないと、支払い拒否は無理だ、と。ま、思った通りです。
件の編集長はこう言った。
「夜の8時ごろから中国娘2人連れが酔ったサラリーマンにコンビニのATM機でお金をおろさせているのを見たことがある」
酔っぱらいだけをターゲットにした、おっさんの弱いとこを突く中国人娘たちの手練手管。ネットで調べたら、彼女らグループは"歌舞伎町を追われて現在は新橋で悪さをしている"とありました。
世の中、悪党が勝つのではない、ただ愚か者が落とし穴に落ちるだけだ。
ひと晩で90万円近い授業料を収めて五十路になってようやく理解できた。あんたたちのことを心の中で今は「先生」と呼んでいるよ。
先生とたしかに路地で何度も交わしたミント系の甘いディープキスの感触、忘れません。
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Written by 沢木毅彦
Photo by Simone Artibani
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