安倍政権が学んだ「桜を見る会」から目をそらす方法 思い出される安保法制強行採決と新国立競技場建設|プチ鹿島
桜を見る会ですが、あの問題がもし「小さなこと」だったとしたら、なおさら大切だと思うのです。そこから見えてくることがあるはずだからだ。
その一つの例が、権力を持つ側の態度について。こないだまで安保法でも共謀罪でもどちらにも懸念されてきたのは「力を持つ側の恣意的な判断」でした。それを新聞などは警戒してたわけですが、今回あっさり恣意的な判断が「桜を見る会中止」で発揮された。
説明することを選ぶより歴史と伝統を一瞬で断絶することを選んだ、強大な力のえげつなさ。態度や振る舞いは「小事」も「大事」もつながっている。
そして今回また過去の「具体例」を思い出してしまった。