スポーツ界のパワハラ問題 「おれについてこい!」ほど恐ろしいパワハラ・ワードは無い
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レスリング女子で五輪4連覇の伊調馨(ALSOK)が、日本レスリング協会の栄和人強化本部長からパワーハラスメントを受けたという問題が巷を騒がせている。
女子選手と男性指導者の間に横たわるもの、それは、日本のスポーツ界の縦社会構造が、露骨に現れたものと言ってよい。1964年、東京五輪女子バレーボールで東洋の魔女を、金メダルに導いた大松博文監督のキャッチフレーズに”おれについてこい!”がある。言ってみれば、この言葉にすべては集約されている。有無を言わせず、おれについてこい! という主従関係だけがそこに存在する。その旧態依然たる体質は、今日の日本のスポーツ界にも続いている。
かつて、私が取材した女子マラソンの世界もまた、選手と指導者との関係に危ういものがあった。
独占、嫉妬、気を引く、これらは一般的に女子選手にたとえられる感情表現と言われる。女子選手の多くは、指導者を独占したいと考え、そこに嫉妬や身勝手な振る舞いが生じる。指導者は、女子選手のそういった感情を利用しつつ、自らがコントロールしやすい女子選手をつくり、競わせる。
時にそれはチーム内の人間関係に亀裂をつくり、憎悪だけが支配することもあるが、そういった指導者は、強い選手だけをつくることだけが全てなので、選手の人間形成など二の次なのだ。
また、日本のスポーツ界には、未だに、世界的な選手を目指すなら、恋愛は禁止などという指導者もいる。恋とスポーツ、二兎を追うものにチャンスはないと言い切る。この言葉を笑止千万な言い草と否定するのは簡単だが、この前近代的な言葉を妄言とは捉えない環境が日本のスポーツ界にはあるのだ。ここにあるのは、所詮、選手の独占欲同様の、指導者の独占欲に他ならない幼稚な論理でしかない。ここにも形を変えたパワーハラスメントが存在する。
しかしそれは、一指導者の問題だけではない。女子スポーツを取り巻く環境とは、企業とメディアが手を組むことによって成り立ち、女子選手の商品価値を作り上げ、それは、スポーツの本質とは乖離したものとなってゆくのだ。
メディアという男社会は、男にとって都合のいいヒロイン像をつくり上げてゆく。女子選手もまた、メディアに受けることを意識し、メディアに沿ったヒロイン像を見せることになる。それは、「愛らしさ」であり、「美しさ」(!?)であり、「あつかい易さ」でもある。
だが、今日的スポーツシーンにおいて、企業とメディアによって作りだされるヒロイン像は、一過性の中で輝き褪せてゆくのだ。代わりはいくらでも作れるのだ。
時に、女子選手の中に思慮深く、自らの意志と言葉を持つ選手がいると、あつかいにくいということでバッシングさえおきかねない。
ふと、ある女子スイマーの言葉が甦る。
「メディアは、女性アスリートの競技力よりも、女性アスリートの容貌に関心を持っている」
まさに、フォトジェニック、テレジェニック、メディアジェニックである。それはメディアによる、女子選手に対する露骨なパワーハラスメントであり、セクシャルハラスメントである。(文◎高部雨市)