コロコロコミックのチンギス・ハン問題は「ヘイト」なのか「表現の自由」なのか

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 先月発売の漫画雑誌「月刊コロコロコミック」収録の作品に、モンゴル帝国を建設したチンギス・ハンの肖像に男性器の落書きをしたカットが掲載されました。これに対し、在日モンゴル人などから抗議が殺到、モンゴル出身で元横綱の朝青龍もツイッターで非難します。ついには、モンゴル政府が日本政府に抗議し、外務省から連絡を受けた発行元の小学館が謝罪するという事態となってしまいました。

 これに対して、ネットなどでは
「たかが落書きに大げさ」
「無邪気な子供のやりそうなことで悪意は無い」
「表現の自由だ」
 などの意見が多く見られる一方、
「悪意が無いといえば何をしてもいいのか」
「歴史と社会状況を考えるべき」
 このような指摘も少なくないようです。

 漫画に関して「表現が問題になるケース」は非常に多いです。特に人種や歴史、国や地域の文化を揶揄するような不適切な表現の例はとても少なくないようです。
 最近でも、難民を揶揄するようなイラスト作品が問題となり、海外メディアにまで取り上げられる事件が起きたことは記憶に新しいでしょう。

 今回のケースも、作者や編集サイドにはまったく歴史や民族を誹謗しようなどという悪意は無かったのは明らか。それでも、外交の場にまで飛び火する火種となってしまう危険性があるということです。いったん火がついてしまうと、それを鎮火させるのは難しいでしょう。

 とはいえ、だからといって自主規制を強めれば、表現活動そのものを萎縮させてしまう危険性がある。こちらも、以前から指摘され続けていることです。結局、製作サイドのセンスの問題ということになってしまうのでしょうか。

 ただし、最近ではヘイトスピーチのように、表現の自由を乱用するケースがあまりに多いように感じます。外務省にとやかく言われるよりも、製作側、発信者、そして読者をはじめとした受け取る側のセンスとモラルも、より問われる時代になったということです。(文◎編集部)