男の孤独死 床には人の姿を形どる跡や頭皮から抜けた髪の毛が… 玉袋筋太郎らが熱く語る

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 拘束から解放された安田純平氏に向けられる自己責任論が飛び交うインターネット社会。空間を超えて繋がるSNS社会では、人間本来の繋がりが薄れる社会になりつつある。対面する機会が減り、コミュニケーション能力の低下とも言われる今の時代に直面する。その結果、対面する事で築ける関係性がなくなり、人を頼ることや助けるという行為が減っているのではないか。

 いま問題視されつつある、孤独死。人との繋がりが薄い人ほど起こりやすい。職場の関係性や地域コミュニティに溶け込めないなどの人間関係がもたらす重要な問題である。この問題はネット社会がもたらす歪みが生み出したのではないだろうか。

 2018年10月26日の新宿ロフトプラスワンでは、医師・長尾和宏氏による『オトナのための死の授業 ~男の孤独死ナイト』が行われた。ゲストに玉袋筋太郎氏や孤独死現場を取材するフリーライター・菅野久美子氏を招き、孤独死の現場写真や現状を語り問題提起を促す。

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 孤独死の現場写真では酒の缶や瓶が転がり、雑誌雑貨などが部屋中を埋め尽くす。床には人の姿を形どる血の跡や、頭皮からずりむけた髪の毛が残る。畳は腐敗し、人体から湧き出した蛆虫が部屋を蝕む。想像するだけで身の毛がよだつ。

 誰にも知られず社会から孤立した結果訪れた人生の終わり。寂しさより虚しさが感情の割合を多く占めていた。たった一人の人生であろうと何十年と積み重ねてきた命の終わりが語り継がれない空白のページで終わらせていいのだろうか。

「社会に生きづらさを感じる人が孤独死になりやすい」

 この言葉を聞いた時、社会の今ある形に疑問を抱いた。自己責任という言葉が蔓延る社会では、孤独死も自己責任になってしまうのか。そんな排他的な社会だからこそ、孤独死になってしまうのではないだろうか。
 誰もが尊敬し、助け合いができる社会になれば孤独死などない共生ある社会になるのではないだろうか。自己責任ではなく、支え合える社会にしたいものだ。(文◎宮原塁/ロフトプラスワン)