伊豆大島に伝わる奇習・日忌様とは? 「1月24日の夜は海を見てはいけない」
伊豆大島の泉津地区にある観光名所・椿トンネル。
伊豆大島の泉津地区には、いまだ奇妙な風習が残されている。毎年1月24日の夜は家に閉じこもり、口もきかずに朝まで過ごす。戸や窓、古い家なら節穴にも、トベラやニビルという匂いの強い植物を差しておく。海からやってくる「何者か」に家を覗かれないためだ。それをここでは「日忌様(ひいみさま)」と呼ぶ。
いったい日忌様とはなんなのか。こんな言い伝えが残されている。江戸時代、豊島忠松という悪代官が大島にて圧政をしいていた。それに反発した25人の若者が豊島を海に突き落として謀殺。若者らは神社にあった杉の大木で丸太船を作り、海へと逃亡した。そのまま利島、新島、式根島などを巡りかくまうよう懇願したが、巻き添えになることを恐れ、どの島民たちも拒否し続けた。そのうちに船は難破、若者たちは暗い海の底へと消えていった。
それからというもの、毎年1月24日になると、若者の怨霊が乗った丸太船が大島沖にやってくるという。この夜は決して外に出てはならない。禁忌を破って外出したもの、特に海を見たものには死が待っている。
似たような言い伝えは伊豆各島に残さており、新島や利島の「海難法師(かんなんぼうし)」では、殺された代官が乗る赤い帆船がやってくると言われる。また御蔵島では「忌の日の明神(きのひのみょうじん)」という、鉄下駄で便所の戸を蹴破っていく荒神になっている。伝えられる内容は違うが、1月24日夜に物忌みをして外出しないのは変わらない。
昔の新島で、この言いつけを守らず、夜を徹して浜辺で酒盛りをした三人の男たちがいた。夜明け前に帰ってきた彼らが戸口に立ったので、心配していた家のものが迎えに出た。すると若者たちは「カンナン……」と一言呟いた途端に倒れ、そのまま死んでしまったという。
私も3年前の1月24日、大島の泉津地区を訪ねてみた。「日忌様」当日の泉津の家々を見れば、確かに窓や戸板の隙間にトベラが刺さっている。風習は生きていたのだ。
「日忌様、昔は確かにしっかりやってましたな。一月に死人が出ても、25日までは葬式もあげられなかったですし」
当地に住むMさんからお話をうかがった。八十代のMさんは、戦前から日忌様の風習を体験しているという。
「昔のトイレは離れにあるでしょう。でも外に出ちゃいけないから空の一升瓶に用を足したり、どうしてもの時はズタ袋を頭に被って、手探りで行ったものです」
テーブルを見ると、四角い盆の上に25個の餅がキッチリと置かれている。
「これは今夜、神棚と仏壇にお供えする餅です。この餅を鼠にかじられるとその年は不幸になるというんで、寝ずに見張るのが習わしでした」
怨霊から身を潜めるためではなく、鼠を見張るために家に篭るのだとすれば、だいぶ事情が変わってくる。
「元々は正月前の、神様が来る日だったんですよ。近くの岬の先っぽに、門井さんという家の当主が座って、海から来る歳神様をお迎えするんです。今はそれも行ってないですけどね。皆で静かに年明けの神様をお迎えする、というのが本当の日忌様の趣旨ですよ」
だんだん分かってきた。おそらく門井さんは神官の役割を果たしていたのだろう。昔の伊豆諸島では1月25日が元旦で、24日の夜が大晦日となっていた。大晦日に徹夜するのは、現代でも行われているように、広く行われる風習である。
元は「年ごもり」と言って歳神を厳粛に迎えるためのもので、家や神殿に籠もり、身を清め音を出さず、じっと夜を明かす。この決まりは時代を経るにつれ形骸化していったが、本土から少し離れた伊豆諸島では、それなりに厳格な形で残されていた。「恐ろしい化け物が来るから外に出るな」というルールに形を変えて。
海を見るなというのは「祭司だけが歳神を迎えるため」。トベラを窓や節穴に差すのは、外から覗かれないためとは逆に「家から神事を覗かないため」。鼠に餅をかじられないよう見張るのは、徹夜するための方便だ。
そもそも豊島代官の殺害についても、伝説だろうという推測がたつ。豊島作十郎忠松という人物が寛永5年(1628年)から正保2年(1645年)まで代官を務め、赴任地にて溺死したといの記録があるからだ(『江戸幕府代官履歴辞典』岩田書院)。赴任先が大島ではなく八丈島という齟齬から考えるに、これは殺害ではなく事故による溺死だろう。当の八丈島では悪代官や若者の怨霊譚は聞かれないからだ。
代官の事故死も、恐ろしい怪談テイストを加えタブーを守らせるために利用されたのではと想像できる。結論すれば、「日忌様」その他各島の恐ろしげな言い伝えは、スタンダードな大晦日の伝統を守らせるための、奇怪な色付けだったのだと言える。
そろそろ旧正月1月25日の前日、つまり24日の「日忌様」が近づいている。ただ泉津地区は、2013年の台風26号による土砂流被害を強く受けた場所だ。まずはお話をうかがった方々の安否が心配である。そして長い歴史を持つ「日忌様」と年明けを、2014年も無事に行えるように復興が進んでいればと願うばかりだ。
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Written by 吉田悠軌
Photo by 伊豆大島観光協会
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